このブログではこれから色々中国の国と人の特徴を語っていくつもりです。 っで、それを読んでいただく前に先ず言っておきたいことがあります。
我々は自分が慣れてない対象に対して、最初から“違う”という前提をつける癖があります。だから両者の共通点より異なるところに注意を張ります。 中国の話も同じ。 ま、それに何か違う話をした方が面白いですよね? 中国人は人肉も食うらしい!やっぱりおかしい人種だわ~。中国人は死んでもそのくそマナーは変えられない。なぜ? 我々とは違うからさ。
だからビジネスだろうが、旅行だろうが、“両国の差を理解するべき”のような論調になるわけです。 自分とは違う相手を受け入れる心や姿勢が重要だ!な~んちゃって。でもそれって、勘違いです。 受け入れようと思ったところで受け入れられますか? 同じ日本人同志でも、数十年一緒に暮らした夫婦同志でも難しいことじゃないですか!
よりややこしいのは“違う”という前提は知らないうちに“優劣関係”に繋がってしまうこと。 つまり、“違う=どっちかが進んでいる/遅れている”という偏見を生むことです。 彼らより進んでる自分だから彼らとは違うわけです。 これは西洋文明を基準とする人類学が人類社会を文明社会と未開社会に分けてきた過去の価値観の残滓が我々の頭の中に未だに残ってる証拠だと思います。 だから中国も、アメリカも、日本とは違うとはいえ、アメリカは学ぶ対象、中国は批判、又は指導の対象とイメージされるわけです。 寿司を食べるアメリカ人は偉い!寿司を食べる中国人は‘まま、よくここまで来たね~’に思われるわけです。
国を語る前に人間と人間を結ぶヒモは“共感”というかせ糸で作られます。
共感というものは自分と相手の違いを理解することから生まれるより、自分と同じ人間であることを認識する時生まれるもんじゃないですか? お腹すいたら食わなきゃいけないし、便秘になると不愉快指数は上がるし、不眠症になるとイライラするし、行動のない口先だけのやつは信用されないし、世の中何よりも自分の子供ほど大事な存在はないし、、、地球何処に行ってもこれは変わらないと断言します。
勿論、違う環境で、違う経験をされてるうちに生成された価値観の差は確実に存在します。 しかし、そういう違いは同じ身体と頭脳構造を持つホモサピエンスという共感台の上で正しく消化できます。 そうじゃないと地球人VS外界人のような認識の壁ができてしまう。 考えてみると地球上に起きてるすべての紛争はこのような“同じ人間としての共感台を抹消した結果”とも言えるでしょう。即ち、肌色の差、文化の差、民族の差、そして宗教の差! 自分と同じく、愛する親と子供がいる人間という共感がある限り簡単に殺し合いはできないはずです。 オバマ政府の時代に本格的に始まった“ドロン爆撃”こそ、その典型的な例ではないでしょうか。 相手の顔を見ながら銃を撃つ時代からPCスクリーンでオンラインゲーム感覚で殺傷が行われてますから。
結局二人の差に対する理解は“二人はこう違う”ではなく、“二人はこう似てる”という前提で始めるべきです。英語でそういった共感台を“Empathy(エンパシー)”と言いますが私が大好きな単語の一つです。
2017年9月ハリケーンマリアがプエルトリコを襲ってから一ヶ月も経っている今でも島の9割が電力なし、5割が食用水がなくて苦しんでいる。 その中で災害現場を訪ねたトランプ大統領は住民たちにペーパータオルを投げ配るショーをして(なぜペーパータオルやねん?!)、離れる直前握手した住民一人に“Have a good time”という普通の人の常識では理解できない発言をした。エンパシーの足りない人間にリーダーの資格はない。

