私の印象の中で日本人ほと勉強熱心の民族はまだ会ったことがありません。

社会人になってからも「勉強会」(Study Group)をやるとか、普通に本の話で盛り上がるとか(*米国人の男性はスポーツの話を抜くと話題が90%減る)、、、日本人が初めて西洋へ留学したのも韓国や中国はローマの存在すら知らなかった1582年!(*詳しくは「天正遣欧使節」をグーグルしてください) 1543年種子島に鉄砲が伝来されてから自分で作り始めるのに掛かった時間は半年、大阪で大量生産ができるまでかかった時間はだった1年! 日本人の好奇心と勉強に対する情熱はこれだけ凄かったのです。 だから日本がアジアでもっとも早く近代化を果たしたのはおかしいことじゃありません。

しかし、外国との接触や交流の歴史がそんに長いのに、それだけ早く近代化を果たしたのに、外国語の語学能力は未だにいまいちって感じ(急に女子高生の真似)なのは何故?

それについて普段聞く話は日本人は元々口で発音できる音が少ないとか、元々才能がないとか、、、じゃ、そしたら日本語は何故できるの?笑。 これはすべて語学を「学」と考えてるからです。 言葉を身に着けること自体は「学」じゃありません、「工夫」です。 

 

母国語というものがあります。英語ではMother Tongue、中国語では「母語」といいますがなぜか韓国と日本だけ「国」を間に付けます(これも又面白い話だが次回チャンスがあれば)。 取り合えず、母国語はお母さんの言葉です。 赤ちゃんがこの世に生まれて初めて出会う存在、それから数年間ずっと一緒にいる存在。それがお母さんの言葉です。 母国語は結局“お母さんと交流したい!”という赤ちゃんの欲望と“赤ちゃんの気持ちを解ってあげたい”という母親の欲望、そのお互いの強烈な欲望による工夫の結果です。 

それから赤ちゃんが大きくなり、学校に入ると先生や同級生たちにその欲望が広がっていく。 だからその言語の「工夫」は一生を通して止まることなく続くわけです。 その意味で言語を“マスターした”というのは嘘。 言語に完結形はありません。 いつまでも現在進行形です。 だから日本語下手な日本人、英語下手な米国人(トランプ大統領みたいな)もいるわけ。

 

第二外国語を身に着けるにはそういった「交流の欲望」が必要となります。相手のことが知りたい、自分のことを知ってもらいたい!という気持ちのこと。

それをモチベーションとも言えます。 多くの方々は恋人が一番のモチベーションだと冗談半分で言いますがそれはそうです。 お母さんをおいて次に来る存在は恋人でしょう、普通は。 私の場合、最初日本語の“火”をつけたのは「101回目のプロポーズ」の星野さんというキャラクターでした。 彼の日本語がとても面白くて、彼の日本語の真似をしました。 そして2年後、本物(?)の日本人と恋に落ち、又数年後初めて日本に行った時はあまりにも上手な日本語で成田空港の取調室に連れていかれた軌跡が起きたわけです。 そういった人間との交流の欲望は男性より女性、大人より子供の方が強いのもご存知のようです。

日本社会が好む性格はどっちらかというと「内向的」です。 そして「島」という環境は外の世界への好奇心と共に警戒心をうみます。 だから外の世界のものを勉強することに熱心である一方、その世界の人との交流は苦手。 私はいつも感じてますけど、日本人は他人に「気を使いすぎる」傾向があります。 それはマナーのいい民族、おもてなしの文化というポジティブな面もありますが、逆に相手との壁を作ってしまうこともあります。  韓国人と中国人はマイペース過ぎてマナーの悪い、失礼なこともやっちゃたりしますが外国語を身に着ける、外国人との触れ合いのところでいうとやっぱり日本人より上手なわけです。 

私は気を使いすぎて空気を重くさせるのも、自分のことばっかり打ち出して相手を困らせるのもいやです 。。。自然体が一番ですよ。 自分のあるがままに相手をすることが一番。

子供のように。 あれ?なんの話をするつもりでしたっけ?

 

そうだ。 PART1の結論:日本人は語学が駄目というのは事実じゃありませんし、何の証拠もありません。 日本人は外国語を身に着ける為のモチベーションに「心の壁」を作ってるだけです。

 

PART1終わり

PART2は私の「心の壁が崩れた」経験と、もうちょっと具体的な「工夫の方」を語ります。