私は学歴という言葉がいつも気になって仕方がないのです。世間でいう学歴は単純に自分が通った学校を時間軸に並べただけだからです。 これは日本、韓国、中国、皆同じですが、そうだとしたら学歴というより“通学歴”というほうが正しいでしょう。
結局学校というラッテルで自分の“商品価値”をパッケージする手段に過ぎないし、そのラッテルを持ってない人たちにはどれほど一生懸命勉強しても“商品価値”を認めてもらえない矛盾を産みます。 だから面接では必須である学歴が恋愛ではなんの意味も持ってないわけです。(勿論、相手を商品とみる恋愛は除外)
学歴は文字そのまま“学びの歴史”です。自分が通った学校はその過程の一部であり、手段の一部にすぎません。いや、学校は勉強の習慣を身に着ける“鍛錬”をするところに過ぎないとさえ言えるかも知れません。 私はアメリカで5年の時間を費やしてやっと大学を出ました。しかし、一学期もろくに勉強した覚えはありません。本当に勉強を始めたのは社会に入ってからであり、中国に留学してから勉強の真の楽しみにやっと気づいたのです。私の勉強の歴史は主に人文系に集中されてきました。 だから数学的な思考に弱いところもあります。 文学、歴史、哲学、社会学、政治学、言語学、、、そしてその歴史は死ぬまで止まることなく続くように望んでます。
職業とは又なんでしょうか? 英語でいうように食っていけるためにすることが職業なら私の現在の職業は広告屋です。 時々自分でも買わない商品を他人に買わせるための努力を20年近くやってきました。 だから最近はすくなくとも自分でも買いたいもの、自分が愛する人たちに買ってあげたいものでなければ案件を断る努力をしてます。しかし、クライアントがデッカイ予算を押し付けてきたらつい悩んでしまう弱い人間です。 そしてこの数年間は会社と一般人を対象にする講師としても飯を食ってます。職業を“一生を通して自分がやるべきのこと”と定義するならば私の職業は後者です。 私は教育家を目指しているのです。