この三日東京で、いろんな人のお話しを聞いていて。

色んな言葉や、空気や、表情や、結果や経験に触発されて、頭の中がぐるぐるしてる。

色々書きたいけど、今書くより、私が何か違和感を感じた、とかはっとした、とか、空気を感じた言葉を今はきちんと拾っておきたい。

何せ、沢山の言葉を聞いたから、どんどん溢れていきそうで怖いし、何かが繋がるのは、今じゃないかもしれないから。

だから今日のブログはメモ。

 

理解できないということ。

二律相反の意見があった時大切なのは、それらは相反するのかという視点を持つこと。両立しうるアイデア、を模索することで同じ方向を向いて議論可能。

違う、を生かすこと、凸凹を生かすことは難しいこと。だって、人って好き嫌いがあるから。

違うから敵じゃない、パートナーになりうるという考え。

物事の考え方の否定と行動の改善を切り離すこと。

本当の教師とは「先生のおかげです」とは言われない。その子自身の力でできるを引き出す。

何をしたいかは経験が作る。

人事は、クリティカルな視点を提示する、なぜならそれで学生が感動してくれたらラッキーだから、巻き込めるから。

過剰な理想主義→べき論が多い→現実にぶつかる→べき論では解決できないことを知る→成長

関心をもているの定義5段階。3以上でないと本気じゃないんじゃない?

答えをだしてすすむこと、答えを出すこと、出せると思うことに疑問を持つことのバランス。

目的と手段の履き違え

意思表示の必要性って、自分の側にあるというよりか、周りが接し方が分かりやすいという点のみで効果的なのでは。むしろそこだけなのでは。

分かり合えない他人にたいしてサービスを作る楽しさ。可能性。

課題の提示は多いほうがいいかもだけど、その選択権は自分にある。

理解できない前提で、想像力を磨く努力をすべき。

主婦が主婦のために考えたコンテンツてつまんない。属性が同じことに傲慢になり、驕りが出る。結局自分、でしか考えられてない。スタートは近しいかも、でも到達すべきゴールが近いわけではない。

上司の思うように成長する必要ってない。

上司は私の価値を感じてたとしても、伝わってない、だから私はしんどい。って言った。私はできるって言われたいし、自分の価値を感じたい。

いいか、悪いかって本当はそんなものない。人による。

自分に対する欠乏が、なくなることってないと思っていい。

目標に対しての自分の現在地を常に把握すること、それだけ。な

 

まだ拾えていない言葉が、空気が、心の動きがあるんだろうか。

言葉にならないそういう動きを私は大切に覚えていたいし、それをきちんと話せるように言語化もしようと思う。