「自由貿易区」を理解するために、知っておくべき5つの背景 その2 | アジアの架け橋を目指す、上海で働くアジア人総経理のブログ

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上海佳奈国際貨運代理有限公司
雅奈(上海)国際貿易有限公司 総経理。
日本で生まれ、韓国で学び、中国で働く アジア人44歳。 

中国での実践ビジネスを通じ、ビジネスマインド、本にはのらない現地の生の会話や情報を、本音でアウトプットするブログ


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さて、前回の続きですが、

自由貿易区を理解するために知っておくべき5つの背景と言う事で、
もう少し掘り下げて行きます。



これの内容を理解するには中国の政策の歴史と、現在の保税区の
背景を少なからず理解しておかないといけない、という話は
前回話した通り。


その背景とは 次の5つ。



1. 加工貿易

2. 保税区

3. 物流園区

4. 増値税還付

5. 外貨管理



ここからちょっと歴史の話になりますが、難しくありませんので
駆け足でさくっと書いていきます。



■ 1.加工貿易の始まり




中国は、文革のあと、国が疲弊していたところから立ち直るために、
鄧小平さんが、大きな路線変更を打ち出しました。


これからの中国が発展するためには、海外との交易を活発化させ、
世界の仲間入りを果たさないといけない! と宣言したわけです。
それが所謂 「改革開放政策」と呼ばれる政策ですね。


この頃までは完全な共産国家だった中国が、その号令とともに
内政は共産主義、商流は資本主義を導入し始めようということです。

早い話、「政治はそのまま」、「経済は開放」、という感じ。


ちょうどそれを象徴するような動きが、密かに1970年台後半に
「珠海」で起こった、という話を紹介します。



そもそも中国は資源国といっても、その資源を有効活用する術を持たず、
また国内産業はあまりにお粗末過ぎたことは自覚していたわけですよ。



でも中国としては発展のきっかけをどこかで作らなくてはいけない事を
自覚していながらも、外国資本をいきなり受け入れてしまうと国内産業や
国営企業が立ち打ちできないことも十分理解していたわけです。



国としてはそんな国内産業、国営企業でも自国産業を守ることを最優先に
守るために、海外からの輸入については高い関税、外国資本の参入は
基本的に認めないという規制を強固に引いていたわけですが、



1978年代、当時の商務部の秘書長であった竜永図氏が、とある工場から
外国からの再輸出することを条件に非課税で資材を外国から持ち込み、
加工だけを施し再輸出するという申請を受け、それを許可しました。


判る人はピンときたと思いますが、これがいわゆる「加工貿易」の
第一号になるわけです。


そしてそれをきっかけに加工貿易の大々的政策拡散に力を入れていくことになります。



ただ、予想どうり国内からは、「働き損だ!外資の搾取だ!」といった
反発の声があがります、



それでも貧弱な国内産業を補うには、まず中国は知恵が必要、天然資源を
生かす術が必要、それらの術も知恵も持たない中国が、外国に次に売れる
資源は「人」であり、当然それを面白く思わない人もいるだろうけれど、



「我々が農民から脱却するためには海外の知恵を受け入れ、われわれの資源である
「人力」を投資する必要があるんだ」と、しかも「ある程度形にするまでには
最低でも20年は掛かる!」 と言って周囲を説得したと言われてます。



このままでは、この大きな体がどんどん弱体化していくのは目に見えているということで
どうしても外資の導入を推し進める政策の必要性を感じていたわけですね。


当時の中国でそれを口にしたというのはすごい事だったと想像しますが、
どこかの国が今同じような事をやろうとしているような、いないような・・・ですね(笑)



この些細な行動が、将来世界を見据えた、改革開放政策の小さな歩みだしになった
と言っていいと思います。


その彼らの考えが、数十年たって今の政策に全部リンクしてくるわけですよ。


もし、「実ははじめから、数十年後のゴールを見据えていて、今もそれにむかって動いている!」 と
考えるとすごくないですか!?


そう考えると、後付のように聞こえるかも知れませんが、これまでの政策のステップが
非常に慎重に進められてきて、ひとつひとつつじつまがあってるのがわかります、
内政を共産党のままにしている事もそれを実現している根拠にもなります。



まさに鄧小平さんと、影の立役者竜永図さんの先見の明といえます。



それら一連の動きを皮切りに、国内での産業保持と、外国企業の受け入れをスムーズに行う
ため、1990年に上海外高橋区に中国第1号の保税区を設立したわけです。


(加工貿易からはじまり丁度20年、2000年までに中国は発展の下地をきっちり作り上げ、
ご存知のように怒涛の10年間の発展をすることになります。)




ただこの保税区に関して、確かに国内だと独資企業の設立は認められてなかったけれども、
保税区については独資での工場の設立ができる、ということで、当時、外資企業にとっては、
素晴らしいエリアが出来上がったと思っていましたが、ちゃんと(!?)落とし穴がありました。


(つづく)