昨日、伝統の一戦と言われる試合がありました。

相手は春の大会で、後半一気に突き放されて大敗したチーム。

本番のリーグ戦は、まだ先であるとは言え、同じチームに二度負ける事はチームを代表して戦う者として、プライドを賭けて許されるものではない

野球のWBCでのJAPAN対KOREAみたいなものだ。(JAPANは二度負けたけど・・・)



・・・が、負けてしまいました。1点差。シーソーゲームの中で勝利への執念が上回ったのは、相手でした。



「執念」。

今回の試合に関して、試合の流れは二転三転し、両者まさに互角。後半はこちらがリードしやや押し気味み試合を進めていた中で、相手エースはわずかなチャンスをもらった場面で、誰よりも強くゴールへ向かった。

勝負を決める場面は、試合を回想すればここであった。

相手の強い意思に対して、こちらはわずかに反応が遅れ、対応が遅れ一気の攻めにやられてしまった。

相手エースはパスの選択肢があったかもしれない。しかし、選択したプレーは目の前の相手を強引に抜きながらの根性シュート。

それまでの相手の戦い方からしても、このプレーはセオリーから外れていたかもしれない。しかし、ここぞという場面でのこちらの対応の遅れに対し、エースとしての勝ちへのこだわりを見せたプレーであった。



「勝負所を逃さない事」。前回の敗戦からの課題であった。

シーソーゲームになる試合展開では、いくつかの勝負所はあった。先制、2点目と連続失点した後の、反撃。前半逆転してリードした後、残り数分でのDFの遅れ。後半開始後の、積極的な攻め。

試合の中では課題を克服した場面と、逆にやられた場面がありながらの試合だったが、そういう試合の中でこそ、ほんの少しの「ひとりひとりの目の前の相手との勝負」が試合を決める事になる。特に後半の残り10分、または5分を切ってから。



あすなろで見せたチームとしてのパフォーマンスのイメージはあったかもしれないが、今回の試合ではその「ひとりひとりの戦い」でどれだけ勝っていただろうか。



苦言であるが、この状態を続ければ恐らく何回やっても同じ相手に勝てないだろう。同点になるか、1点差になるか、大差になるかではなく、試合に勝つ負ける以前に、まず「勝負」で勝たなければ。



「勝ちから得られるものと、負けから得られるもの。」

こういった苦しい試合を勝つことは、自らのチームに対するプライド、これまでの過程に対する自信、相手に対する優越感、ビッグゲームに勝つことの喜びなど、勝った者にしか味わえないものが、沢山ある。勝てば味わえるのである

負けた者には味わいのあるものは無い。味わう暇もない。味は苦さのみ。

得られるものは、自分達に足りないもの、修正点、変化することの必要性、勝ちへの欲望か。

最後に到達すべき目標に対して、この結果がどう影響するのか。「得たもの」と言えるのは、今後自分達がどう行動するかどうかだ。

あすなろで勝ったことの喜びは、数日ももたなかった。



敗者とは、一瞬でも諦めた人に対する言葉だ。

挑戦し続ける人に、「敗者」という言葉は当てはまらない。









ちなみに、前座で伝統のOB戦がありました。

ゴーリーで入りましたが、ボールは見えても体は動きませんでした。

せっかくリバウンド拾って、相手陣まで攻め込みましたが、ゴール前で酸欠から視野が一気に狭くなりました。何故シュートまで行かなかったのかと後悔。

努力しなければ、やはり結果は出せません。

アルコールで体を覚醒させる努力と準備が足りませんでした。

試合は引き分け。さすが、大人同士の試合です。