12号では姉川の合戦を紹介して います。 浅井、朝倉連合軍と織田軍との戦いですね。
元亀元年(1570年)姉川を挟んで大軍同士がまともに激突した戦いは織田軍の勝利に終わりました。
2500人以上の死者を出したせいで”姉川の川面が血で染まった”んだそうです。
この戦いの主役の一人だったはずの朝倉義景は姉川の合戦に参加せず、しかもその後の戦いの中でも何度か
信長を倒すチャンスがあったのにもかかわらず積極的に行動しなかったために最後は信長に滅ぼされました。
天正2年(1574年)の正月に”金泥で薄く装飾された3つの頭蓋骨”の1つとなって酒の席で酒肴として
披露されたんだそうです。残りの2つは浅井久政、浅井長政親子だそうで、何とも不気味な酒肴ですな。
これを見た当時の人達の気持ちが気になるところです。
元亀元年(1570年)姉川を挟んで大軍同士がまともに激突した戦いは織田軍の勝利に終わりました。
2500人以上の死者を出したせいで”姉川の川面が血で染まった”んだそうです。
この戦いの主役の一人だったはずの朝倉義景は姉川の合戦に参加せず、しかもその後の戦いの中でも何度か
信長を倒すチャンスがあったのにもかかわらず積極的に行動しなかったために最後は信長に滅ぼされました。
天正2年(1574年)の正月に”金泥で薄く装飾された3つの頭蓋骨”の1つとなって酒の席で酒肴として
披露されたんだそうです。残りの2つは浅井久政、浅井長政親子だそうで、何とも不気味な酒肴ですな。
これを見た当時の人達の気持ちが気になるところです。