つれづれなるままに | 『流しのサッカー親父』バーバパパのブログ

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昨日は鞠中毒の総本山である『明治大学付属中野八王子中学校』、通称『明八(めいはち)』にて合同練習。
八王子駅へ向う電車の中、ある人のFBの記事が気になったのでシェアさせていただいた。
まさにこれから向う先で、乗り越えなければいけない事。
恥ずかしいって気持ちは捨てましょう。
最初から上手い奴なんていないんだから。
 
徒然草150段目
【原文】
能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。
うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、
かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、
天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、
終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。
天下のものの上手といへども、はじめは不堪(ふかん)の聞こえもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。
けれども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士にて万人の師となること、
諸道かはるべからず。
 
【現代語訳】
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。
こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、
そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。
どんな世界でも同じである。
 
 
太志くんからのコメント
 
 
石田 太志 フットバッグを始めて3ヶ月で全国大会出ました。余裕の予選落ち。
 
 
かなり次元が違うが、OMAさんからのコメント(笑)
 
 
小俣 公史 人生初の人前五郎丸。空気が凍りついて終了。(-人-)チーン
 
 
【恥ずかしさを乗り越えた先にしか見ることができないものがある。
それは誰も教えてくれない。
恥ずかしさを乗り越えた者にしか見えないものだから。】