コーチではないんです。 | 『流しのサッカー親父』バーバパパのブログ

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『鞠中毒日記』OMAさんのFBからの、とあるブログの転載です。



「子どもの成長には“あこがれ”が必要なのです」(伝えるということ)

「文化」は「受け継ぐもの」であると同時に、「創り出すことが出来るもの」でもあります。

皆さんには「文明」を創り出す力はありませんが、「文化」なら創り出すことが出来るのです。

それは、
それはつまり、現代人が絶対的に価値を感じている「文明」というものが、「人間が人間であるために必要な絶対条件ではない」ということです。

むしろ、現代人があまり大切にしていない「文化」の方が、人間の人間らしさを支える絶対条件なのです。

と昨日書いた通りです。

「私が学んだこと」「私が気付いたこと」「私が感じたこと」「私が大切にしていること」などを、子どもに伝えようとする時、それが「文化」になっていくのです。

ですから、「私は何も受け継いでいない」などと悲観する必要はありません。

ただし、ここで大切なことは「教える」のではなく、「伝える」ということです。

「教える」のは上下関係です。学校の先生は色々と教えてくれますが、それ故に先生は生徒と対等ではありません。

でも、「伝える」という場面においては、「伝える人」も「伝えられる人」も対等です。

なぜなら、「伝える」というのは「共有すること」によって成り立つ現象だからです。言葉も、遊びも、伝統も、様々な価値観も、お料理の作り方も、みんな「伝える人」と「伝えられる人」が共有することで伝わってきたのです。

一緒に遊びながら「遊び」が伝わり、一緒に生活やお話ししながら「言葉」が伝わり、一緒にお料理を作ったり食べたりしながら「料理」が伝わってきたのです。

というか、その「一緒」がないと伝えようがないのです。その「一緒」に支えられているのが「文化」です。

「文化としてのお料理」は、「お料理の作り方」だけでなく、その「お料理」の社会的意味や、生活とのつながりによって出来上がっています。

「お正月」から切り離した、「おせち料理」は、単なる技術であって、日本文化としてのお料理ではありません。

そして、「技術としてのおせち料理」は教えることが出来ますが、「文化としてのおせち料理」は、一緒に暮らしながら伝えるしかないのです。お料理教室などのような場で教えることは出来ないのです。

でも、現代社会では、この「伝える」ということが消えてしまいつつあります。そしてみんな教えようとばかりしています。

なぜなら、「教える」という行為は、社会的対価を求めることが出来るからなのでしょう。

一緒にサッカーで遊ぶだけでは指導料を要求出来ませんが、脇に立って大きな声で「ダメじゃないか」「ああしろ、こおしろ」と指導すれば指導料を要求出来るのです。

でも、高い技術を持った人と一緒にサッカーをして遊ぶ方が、大きな声で指導するだけの練習よりも遙かに子ども達の能力を高めるはずです。

理屈ではなく、事実で見せてくれるからです。

そして子ども達は、そのように実際に「かっこいい姿」を見せてくれる人に「あこがれ」を抱きます。

その「あこがれ」が更に子ども達を強くするのです。

それが日本のサッカーが世界のサッカーに勝てない理由のような気がします。
日本のサッカーは「指導者によって指導された技術」であって、「みんなで大切に共有している文化」になっていないのです。

私は若い頃、半年ほどスペインにいました。そのスペインではどこの広場でも子ども達はサッカーをして遊んでいました。でも、日本では指導者に指導されているサッカークラブでのサッカーしか目にしません。

その日本の子ども達の憧れは「テレビの中」にしかいません。


「文化」を支えている「一緒」が「横のつながり」を作っています。
そして、「伝える」「伝わる」という現象の中で「縦のつながり」が生まれています。

ただし、この「縦のつながり」は上下関係ではありません。

「あこがれ」や「尊敬」による「縦のつながり」です。

子ども達が大人達にあこがれを抱くことが出来る社会は夢と希望に満ちています。そして子ども達は、成長を喜び、早く立派な大人になろうと努力します。

自分の将来に希望を持つことも出来ます。

でも、子ども達にとって大人が「あこがれ」ではない社会では、子ども達が自分たちの将来に夢と希望を抱くのは難しいと思います。

どうか、子ども達を素敵な大人と出会わせてあげて下さい。

そして、皆さんも子ども達にあこがれられる大人になって下さい。

どんなに立派な教育法を実践するよりも、大人が子どものあこがれになる方がズーッと子どもの育ちを支えてくれるのです。

なぜなら、「あこがれ」がある子には「希望に満ちた未来」があるからです。

高い山を登る技術があっても、登りたい山がなければその技術は使われません。
でも、登りたい山があるなら、自分の意志でその技術を身につけます。

そういうことです。

そのためにはまず「伝えるもの」を育てる必要があります。

私は、それが子育てや教育の原点だと思います。


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だから、おっさんは



コーチではないんです。



近所のサッカー好きなオヤジなんです(笑)