秘教の言葉シリーズ、第三回は「神」と「霊」について。
秘教においては、「神」という言葉には「内在する神」と「超越する神」、2つの意味がある、と。
「神」というワードは壮大すぎるのであまり突っ込みませんが、僕がずっと印象に残っているのは、
「インドにも「お客様は神様だ」という言葉がある。
しかし、ただお客はえらい、というような意味ではない。
例えば家でお客さんをもてなす時に、どうしたら喜んでくれるだろう、というハートから溢れるような自分の心持ち。そういったものを「神」と呼んでいる。」
という、インド料理研究家の方の文章。
(カレーのレシピ本に書いてありました。)
これは「内在する神」のことですね。
「私たちが恋焦がれ、憧れる外在する神、それと同じ性質を私たちの中に秘めている。
そういう考え方でもって、統合する。
そういう概念として、神という言葉が使われている。」
と動画で言われていますが、秘教はこれまでの東西の宗教などを統合した理論・科学ですが、神という概念も統合しているのですね。
話は変わって、アメリカ大統領選の話。
トランプが意志を継いでいる、ケネディ大統領の就任演説には「神」というワードが多く登場します。
現在のアメリカの情勢も、まさに「神」がキーワードになっています。
ケネディはこの就任演説で語ったことをやろうとして、暗殺されました。
以下は演説内容の一部抜粋です。1961年。60年前ですね。
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「本日我々は党の勝利ではなく、自由の祭典、即ち始まりと共に終わりを象徴し、変革と共に再生を意味する祭典を祝っている。
何故なら、私は諸君や全能の神の前で、我々の父祖らが約175年前に定めたのと同様の、厳粛な誓いを立てたからである。」
「新たな勢力均衡でなく、新たな法に基づく世界を築こう。強き者が正義を為し、弱き者が守られ、平和が保たれるような世界を。」
「これらは、最初の100日間では果たせまい。
最初の1000日間でも、この政権の間でも、そして恐らくは我々のこの惑星上における一生涯の間ですらも果たせないかもしれない。
それでも、始めようではないか。」
「国民諸君よ。我々の進む道が成功に終わるか失敗に終わるかは、私自身よりも諸君に懸かっている。
建国以来、各世代の米国民は国家への忠誠の証を示すよう求められてきた。
召集に応じた若き米国人らの墓が、世界中に建っている。」
「今、再びトランペットが我々を召集している。
だがこれは、武器を取れとの合図ではない――我々は武器を必要としてはいるが。
戦をせよとの合図でもない――我々は戦に備えてはいるが。
そうではなく、今後とも「希望に喜び、苦難を忍び」、長い薄明かりの中での苦闘に耐えよとの合図なのである――
圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものといった、人類共通の敵との闘いに耐えよとの合図なのである。」
「これらの敵に対して、我々は世界の南北、東西に及ぶ大同盟を創り、全人類の生活をもっと実りあるものにしよう。
この歴史的取り組みに参加して欲しい。」
「我々が活力、信念、献身をもって行う取り組みは我が国を照らし、そして我が国に奉仕する者全てを照らすであろう――
その炎の輝きは、真に世界を照らすはずである。」
「だから国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。
世界の市民諸君よ。米国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、我々が人類の自由のために共に何ができるのかを問うて欲しい。」
「最後に、米国市民も世界市民も、ここにいる我々が諸君に求めるのと同じ高い水準の強さと犠牲を、我々に求めて欲しい。
我々にとっての唯一確かな報酬とは良心の喜びであり、我々の行いに最後の審判を下すのは歴史である。
主の恵みと主の助けを求めつつ、しかも神の御業をこの地上で為すのはまさに我々なのだと肝に銘じて、
我々の愛する地を導くために前進しようではないか。」
長くなってしまったので終わりますが、この演説を見ると、ケネディ〜トランプたちが戦っている相手が見えてくるように思います。