アイドルシリーズの最後は、やはり本田美奈子さん。


急性白血病で38歳の若さで、亡くなってから、17年も経ちます。


それでも、おいらの心の中では、まだ生きています。


実は14歳の時、アイドルオーディション番組

スター誕生にチャレンジしています。


聖子ちゃんカットが可愛い❤️


決戦大会まで行きましたが、スカウトマンのプラカードは上がりませんでした。


1983年に原宿で、少女隊のメンバーを探していた、ボンド企画にスカウトされましたが、ボンド企画はスター誕生では、プラカードを上げていませんでした。


デビュー曲は、殺意のバカンス

いきなり、すごい歌唱力


本人は、演歌歌手を目指していたそうですが、ボンド企画では演歌歌手を育てた事が無かったので、アイドルとしてデビューする事になりました。


初のオリコンヒットチャートベスト10


この曲で、大ブレイク

ヘソだしルックで、色っぽい


ヒットチャート3位


ヒットチャート2位


この曲、可愛い


ヒットチャート2位

声量が半端無い


アイドルとしての期間は短かったのですが、

1990年にミュージカル「ミスサイゴン」

オーディションに20000名の中から選ばれます。

 

この迫真の演技、歌唱、感動

レミゼラブルは、彼女の代表作となりました。


ひめゆり

涙が出てきます。


そして、みんなを驚かせたのが

クラシックとのクロスオーバー


カッチーニのアブェ マリア


とても哀しい旋律で、彼女の身の上に起こる出来事を予感していたのか?


そして、彼女の訃報とともに日本中に流れた曲


悲しみとともに流れたこの曲で、彼女の歌唱力の凄さが改めて認識されました。


声域は3オクターブにも及び、MISIAに負けない声域、歌唱力。


そして、彼女の死後、彼女のミニアルバム「アメイジンググレース」は、クラシックのアルバムとして、初のオリコンヒットチャートベスト10入り、7位を獲得しました。


このドキュメンタリーでは、彼女の歌への情熱、人々への優しさが溢れています。


弔問には、3000人の方が駆けつけ、彼女の人柄が偲ばれます。