虚像のモンスターと名付けたのは、本人たちの意思に反し、ピンクレディーが商品として、あまりにも巨大化してしまったからです。


スター誕生で、あまりにも素朴な女の子二人が、フォークソングを歌いました。

スター誕生のスタッフは、多分プラカードは一社も上がらないだろうと予測していましたが、

決戦大会では、たくさんのプラカードが上がりました


しかし、裏側では、とんでもない作戦が立案されていました。

ピンク・レディー - ペッパー警部 - SV-6097 | レコード通販

人々の度肝を抜いたジャケット。 


ピンクレディーという名前は、作曲家の都倉俊一さんが命名し、その曲のほとんどを手がける事になります。

そして作詞は、あの阿久悠さんです。


スター誕生の新人コーナーで、デビュー曲を披露した時には、

スター誕生のスタッフは驚愕の声をあげました。


ミーとケイが、美肌を惜しげもなく露出。

そして、両膝を開脚する振り付け。


フォークソングを歌っていた素朴な女の子が、

完全にセクシーアイドルに変身していました。



この曲で、ヒットチャート1位を獲得。


連続1位


ミリオンセラー。

最初の振り付けが、ユニーク。


12週連続1位獲得


ミリオンセラーで、アイドル歌手として初の

レコード大賞獲得。

この頃から、お子ちゃまを意識した曲に。


ホームランの世界記録を打ち立て、国民栄誉賞をもらった、巨人の王貞治さんとの一騎打ち。


この曲もミリオンセラー


またもや1位


ついに9曲連続1位


セクシーアイドルとしてデビューしましたが、支えていたのは、子供達でした。

振り付けを真似する子供達で、学校や幼稚園は大賑わい。

中には、3歳の女の子もフリフリしていたのでした😊


しかし、人気絶頂期にあって、彼女たちの精神は激しく病みつつありました。


睡眠時間はほとんどなく、分刻みのスケジュール。

その中での失敗が許されない緊張感。


「人様にこんな不十分なものを見せていいのか?」

悩みながらも、精一杯のパフォーマンスを繰り広げました。


スター誕生のチーフプロデューサー、池田文雄さんに

「もうやめたい」と電話がかかってきた事もありました。


そして、アメリカ進出。

これは失敗に終わりましたが、

アメリカでのデビュー曲"キッスインザダーク"は、

アメリカビルボード総合チャート37位。


これは、日本人では、"スキヤキ"で1位になった坂本九さんに次ぐ好成績です。

この後、ピンクレディーの37位を上回る日本人は出てきません。


しかし、日本に帰ってからは、人気急落してしまいました。


そして、1981年3月に、後楽園球場(現在の東京ドーム)で解散コンサートを行いましたが、

スタンドは、空席が目立ちました。


でも、これは彼女達の本来目指す、

ソロアーティスト、女優としてのスタートになりました。


アイドル第二黄金時代は、ピンクレディーブームの終了、そして山口百恵の引退によって、終了したのでした。