虚像のモンスターと名付けたのは、本人たちの意思に反し、ピンクレディーが商品として、あまりにも巨大化してしまったからです。
スター誕生で、あまりにも素朴な女の子二人が、フォークソングを歌いました。
スター誕生のスタッフは、多分プラカードは一社も上がらないだろうと予測していましたが、
決戦大会では、たくさんのプラカードが上がりました
しかし、裏側では、とんでもない作戦が立案されていました。

人々の度肝を抜いたジャケット。
ピンクレディーという名前は、作曲家の都倉俊一さんが命名し、その曲のほとんどを手がける事になります。
そして作詞は、あの阿久悠さんです。
スター誕生の新人コーナーで、デビュー曲を披露した時には、
スター誕生のスタッフは驚愕の声をあげました。
ミーとケイが、美肌を惜しげもなく露出。
そして、両膝を開脚する振り付け。
フォークソングを歌っていた素朴な女の子が、
完全にセクシーアイドルに変身していました。
この曲で、ヒットチャート1位を獲得。
連続1位
ミリオンセラー。
最初の振り付けが、ユニーク。
12週連続1位獲得
ミリオンセラーで、アイドル歌手として初の
レコード大賞獲得。
この頃から、お子ちゃまを意識した曲に。
ホームランの世界記録を打ち立て、国民栄誉賞をもらった、巨人の王貞治さんとの一騎打ち。
この曲もミリオンセラー
またもや1位
ついに9曲連続1位
セクシーアイドルとしてデビューしましたが、支えていたのは、子供達でした。
振り付けを真似する子供達で、学校や幼稚園は大賑わい。
中には、3歳の女の子もフリフリしていたのでした😊
しかし、人気絶頂期にあって、彼女たちの精神は激しく病みつつありました。
睡眠時間はほとんどなく、分刻みのスケジュール。
その中での失敗が許されない緊張感。
「人様にこんな不十分なものを見せていいのか?」
悩みながらも、精一杯のパフォーマンスを繰り広げました。
スター誕生のチーフプロデューサー、池田文雄さんに
「もうやめたい」と電話がかかってきた事もありました。
そして、アメリカ進出。
これは失敗に終わりましたが、
アメリカでのデビュー曲"キッスインザダーク"は、
アメリカビルボード総合チャート37位。
これは、日本人では、"スキヤキ"で1位になった坂本九さんに次ぐ好成績です。
この後、ピンクレディーの37位を上回る日本人は出てきません。
しかし、日本に帰ってからは、人気急落してしまいました。
そして、1981年3月に、後楽園球場(現在の東京ドーム)で解散コンサートを行いましたが、
スタンドは、空席が目立ちました。
でも、これは彼女達の本来目指す、
ソロアーティスト、女優としてのスタートになりました。
アイドル第二黄金時代は、ピンクレディーブームの終了、そして山口百恵の引退によって、終了したのでした。