ダイブマスターを取って、1年目の2003年。
おいらは加世田店での2年目だった。
後輩の恋愛問題に巻き込まれたり、大変だったが、楽しい時期だった。
ダイブマスターを取ったからには、恥ずかしいダイビングはできない。
おいらは、できるだけセルフダイビングをして、地形を覚える練習をした。
そして、あまり興味の無かった魚を覚えることにした。
図鑑を買ったのもそのため。
ただ、カメラは頑なにしなかった。
なぜなら、写真に興味が無かったからである。
おいらに関するアルバムはごく幼少の頃を除いて、まったくない。
写真で思い出を残すことを、どちらかというと嫌っていた。
では、なぜ、今は水中カメラを使っているのか?
これは、このブログの存在が大きい。
このブログは、歳を取って、動けなくなった時に、見返すつもりで書いている(笑)
人に見せるよりも、自分のための日記なのだ。
ダイブマスターになったら、ガイドをすることもある。
と言っても、プロのガイドではなく、お金をもらってのガイドではない。
実際のプロのガイドは大変である。
安全管理をしながら、ナビをして、そして生物を見せなくてはいけないのだ。
おいらは、プロではないので、ガイドをする時は、安全管理を重視する。
とにかく、ロストしないように、10キックごとに振り返るようにしている。
しかし、せっかくなら、生物を発見したいので、魚の名前も覚えるようにした。
しかし、潜水王さんみたいに、1ダイブにたくさんの生物を発見することはできなかった。
やはり、プロになるのは大変。
この頃、バッシラインの専属ガイドのあご銀さんとも潜ったが、平崎を知り尽くしていて、生物にも詳しかった。
あご銀さんは、毎週、土日潜っていた。
おいらは仕事と家庭があり、1か月に1~2度のダイビングではなかなか、ここまではできない。
2003年はセルフとファンが入り混じったダイビングとなった。
S家さんや、Mレイコさん、そして新たにラスタマンさんや、ナカミナさん、アッコまんさんたちとも潜った。
ラスタマンさんはバッシラインのインストラクターで、すごいマクロ生物に詳しかった。
1センチもないような、マクロ生物を簡単に見つけ出す技は、まず、真似はできない。
10月には、アニョさんやS家さんたちと裏平崎を潜った。
合計で、73分のダイビングだった。
後半はD門さん夫妻とも知り合った。
最後に潜ったのは、11月16日と、いつもより遅い。
この年は35本潜り、累計ダイブ数は164本になった。