3日目はサンフランシスコに移動。
昨日から発した高熱のため、記憶がさらにあいまいになっています。
ここからは少し短縮形になります。
サンフランシスコは親しみやすい雰囲気で、歩いて町中を歩くことができます。
この橋は有名ですが、霧でよく見えませんでした。
サンフランシスコはアメリカ西海岸なので、鹿児島の内之浦と対岸にあります。
でもかなりの距離ですね。
世界で最も美しいゴルフコースとして、有名な
ペブルビーチゴルフリンクスもあります。
流通業も回りましたが、あまり覚えていません。
夜はフィッシャーマンズワーフで食べました。
ここでカニを食べましたが、すごい量で、お腹いっぱいになりました。
これだけ、カニをたくさん食べたのは、とても幸せな気分でした。
他の人たちは、二次会にも行ったようですが、おいらは高熱を発していたために1人でホテルに帰りました
タクシーの運転手にチップを渡しましたが、英語を事前に学習していたために無事に渡せました。
4日目は、サウスコーストプラザに行きました。
ティファニー、コーチ、バーバリー、グッチ、エルメスなど、高級ブランド店が並びます。
ここは、黒人は1人もいませんでした。
アメリカは人種差別がないというけど、やはり根強く人種差別が残っているのを感じました。
2日目で行った、アメリカの郊外のショッピングセンターには、1人も白人はいませんでしたが、
ここにはおいらたちのツアー客以外は、有色人種は1人もいません。
サウスコーストプラザは11月初旬から、クリスマスディスプレイがしっかりとされていました。
バスの中では、ガイドがアメリカの生活について説明してくれました。
アメリカの男性は一生に3回結婚するのが、一人前だそうです(オイ)
アメリカでは、日本みたいに部屋飲みとかありません。飲み会とかはないのです。
その変わり、ホームパーティーは盛んで、必ず妻が同伴します。
だから、夫婦中が良くなくてはなりません。
そのためか、離婚は多く、男性は3人の妻とその養育費を支払う稼ぎがあってこそ1人前。
本当か?(おいらには無理)
アメリカでは自動食器洗浄機がついているのが当たり前、またお風呂やトイレは家族の数だけあるそうです。
4人家族だったら、4つお風呂とトイレがあるんですね。すべて個人用。
お風呂に娘と一緒に入るなんて、ありえないそうです。
4日目の夕食はコリアバーベキューでした。
名前は韓国焼肉ですが、日本式の焼肉です。
ユッケも食べましたが、美味しかったです。
5日目は、日本人がサンフランシスコで農業を営んでいるところで、日本人との交流会がありました。
終戦後、移民されたようで、結構高齢者が多かったです。
昼食は、その方たちと、中華料理を食べました。
夜は鉄板焼きの店で、日本人のパフォーマンスがありました。
ホテルに帰ったら、韓国人に英語で話しかけられました。
おいらは人気があるようです。
と言っても、黒人の方や東洋の方ばかりでしたが。
6日目は、いよいよ日本に帰ります。
サンフランシスコを午前11時に出発します。
帰りは12時間かかります。(偏西風の関係で、行は9時間)
おいらは高熱を発していましたが、出発の時はボルタレンの影響で熱は下がっていました。
その後、ボルタレンが切れてからが地獄の苦しみでした。
キャビンアテンダントのお姉さんに介抱してもらいました。
帰りは午前11時に出発して12時間ですが、ずっと昼です。
これは地球の自転に逆らって、飛行するからです。
行は、あっという間に夜が明けましたが、帰りはいくら時間がたっても夜にならないのです。
12時間飛行して、ソウルの金浦空港に着いたのは午後4時でした。
午前11時に出発して、12時間飛行して午後4時に着くのは不思議な気分でした。
金浦空港を出発した瞬間に、体に異変が起こりました。
先ほどまで、高熱にうなされていたのに、急に熱が下がり、体調が元に戻ったのです。
やはり、アメリカの気候は、おいらには合わなかったんですねる
家に着いたのは、午後8時くらいでした。
生まれて、2か月の息子が迎えてくれました。