よい行いをすることを徳を積むという
さらに人目につかないところでよい行いをすることを陰徳を積むという
以前父親が「陰徳を積め」という話をしていたのを覚えている
宗教上の行いという意味もあったけど
父親も母親も定期的に
朝4時くらいに起きて地域の清掃をしていた
そんな父親が言った一言だったからなんか響いたところがあったのだろう
こんな話もしてくれた
電車で座っていたらお年寄りが乗ってきた
席を譲ったとき「ありがとう」というのは
譲られたお年寄りの方ではなく自分の方だ、と
徳を積む機会を頂いてありがとう
と心の中で唱えなさいと言われた
決して「譲ってやった」なんて思ってはいけない
席を譲ったことに満足してもいけない
感謝をするんだ
いい話だな~と思った
確かに席を譲るのは勇気もいるし
自分が疲れていたりとかするとなかなか出来ないけど
やってみるとすごく気持ちがいい
そんな気分にさせてくれて「ありがとう」と相手に感謝できるようになれば
もっともっと気持ち良いだろうと思う
それとは全然違う話かもしれないが
今日感謝したい出来事があった
車が左折しようとしたとき
横断歩道を腰の曲がったお年寄りが歩いていた
その方は車が左折使用としていることに気付くと
曲がった腰をさらに曲げて
一生懸命早く渡ろうとしていた
歩行者の当然の権利なんだからそんなことしなくてもいい
運転手だって特に気にしていない
でも「待たせている」と想い気を遣ったんだろう
やや小走りで渡り終えた後
車は左折していった
その時
そのおばあちゃんは
斜め後ろを向きながら頭を下げて礼をしていた
運転手の目には入らないことなのに
そんなことしなくてもいいのに
俺は後ろに乗っていたからかろうじてそれが視界に入った
それを見たときなんともいえない感謝の気持ちがこみ上げてきた
温かい気持ちになって頬がゆるんでしまった
いろんな考えが頭に浮かんだ
左折で渋滞しているようなところでも
当然といわんばかりに堂々と歩いている若者もいるし
いくら信号が青といっても車が注意しろと言っているかのように
猛スピードで飛び出してくるママチャリおばちゃんもいる
さらに・・・(ここからは完全に妄想が暴走したんだが)
戦争を経験し
あんな悲惨な状況から今の日本の復興に貢献してきた
本来敬われるべき老人が
何不自由なく育ってのうのうと暮らしているものに頭を下げるなんて!
そう思うと感謝 感謝の気持ちしか出てこない
道端でこんな素敵な気持ちにさせてくれたあのおばあちゃんに感謝!
こういう行動が人に影響を与えていくんだなって思った
何気ない行動だろうと見ている人がいる
そのおばあちゃんは俺がこんな風に思っているなんて知らないだろうけど
プラスの影響を与えてくれた
さらに気分が良かった俺が生徒になにかしら良い影響を与えられたかもしれない
都心に住んで居る人は一日に1万人以上の人に影響を与えていると聞いたことがある
そう考えると父親が言っていた「陰徳」の意味の大きさが少しずつ分かってくる
うーん
人生は深い
俺なんかよい行いをするとすぐ人に言いたくなるもんな~
すこしずつ改めていこう