僕を創ってくれた人達は元気でいるでしょうか?
ハード(肉体・ボディ)をくれた二人は、一人は雲の上。
もう一人は、穏やかな海風が吹き、蜜柑が実る丘の上で暮らしているはず。
ソフト(こころ・精神)を創ってくれたたくさんの人達。
ある人は
東大を出て児童心理を研究し、子供達の可能性を追求していた。
しかし周りの心無い大人と呼ばれる人達に、押し潰されて
言葉と笑顔を失った。
子供が好きで、一緒に砂遊び、泥団子作り。
その時間で彼は微笑みを取り戻し、少しずつ言葉も取り返し。
人間は土との触れ合いの中で、精神のバランスを保つと教えてくれた。
そして彼は陶芸家になり、とても素朴だけど温かい器を創り始めた。
ある人は
神学校に通い、子供の頃観たムンクの絵に
神の治める世界にこんな悲惨な作品があってはならないと
ショックを受け、争いや恐怖の無い世界を取り戻そうと心を注いだ。
しかし不慮の事故で頭部を損傷し、喋るたびにつっかかる言葉で
周りから笑われたり、避けられる毎日となってしまい神様を恨んでしまった。
「何故周りの人達は、僕の話を待ってくれない。ベラベラとどうでもいい
話を16ビートで話すことが偉いのか。ワルツじゃだめなのか。」
彼は僕と初めて会ったときにこう言った。
「なんだか僕と似ている。何かを探してるけどそれが具体的に見えない。
人と人との間にある、光をどうやったら分かちあえるのか悩んでるね。」
全くオカルトとか宗教的な意味でなく、風のような言葉だった。
ある人は
J・リーグ発足の頃。
その当時のチェアマンと話す機会があり
「僕の知り合いで、家族でJ・リーグ応援してる方がいて
そこの息子さんが養護施設に通っているんですが、サッカー大好きで
中継があると何処のチームでもニコニコ声援を送るんです。
そして次の日は元気よく施設へと向かうんですよ。」
「そうか。有難いな。その方のお宅は近いのかい?」
「えっ。歩いて5分もかからないですかね。」
「案内しなさい。ご挨拶に伺う。」
どかどかと支度をしてお宅訪問となったのだ。
「こんばんわー!夜分すみません・・・」
家族団欒に訪れたサプライズ!みんな口をポカーンと開けて言葉が出ない。
「いつも応援ありがとうございます。おっ 君か。いつも試合観て
選手応援してくれてるんだってね。ほんとにありがとうなー。」と
息子さんの頭を撫でてクシャクシャの笑顔でお礼を言われた。
息子さんも知ってる顔、TVで観た顔に驚き、喜びおなかをポンポン叩き出した。
その後色紙に、いつも胸ポケットに挿してある筆ペンでメッセージを残し
深々と何度もお礼を言ってその場を離れた。
本当にいろんな人から心を創るための言葉、体温を頂いているのに
僕の心はまだまだ及ばない。毎日毎日弱い心に渇を入れている。
心は、見て、聴いて、匂って、肌で感じて、味わって。
そしてそれを理解できるために頭を良くして。
心の完成はないのだろうけど、自分を強くし大切に思い
守るべきものを守りきれる力をつけたいとも思うのだ。
「すみませんでした。お疲れになられたでしょう?」の問いかけに
「何言ってんの。選手達は現場で一生懸命プレイして、J・リーグ盛り上げようと必死。
私なんかができるのは、応援して下さるサポーターの皆さんにお礼を言って
末永く愛してもえるようなムードを作ることぐらい。うれしいじゃない。元気もらえるよ。」
その時僕が感じたのは「少年のような真っ直ぐさ」だった。
と、同時に「本当に偉い人は偉ぶらないし、愛に満ち溢れている」とも感じた。
世間では威張っているヤツ、偉そうなヤツたくさんいるけど、肝心なときに逃げ出す。
僕も身近なところから、感謝すべき時は「思う」だけじゃなく「具体的な行動」で
表そうと心に決めた。