
ナポレオンと戦争の革命
「現代戦略の系譜」第5章 ピーター・パレット
ナポレオンが作戦あるいは戦闘で何をなしたか、何をなそうと試みたかという以上に、いかに彼がそれをなしたか、そして戦争の革命が遂行可能にした単純だが遠大な戦略構想の焦点とクライマックスとして、彼がいかに戦闘をうまく使用したか、という点に大きな相違を生み出していた。彼は彼の生涯の最後においてまで「戦争術とは単純である。すべては実行の問題だ」と信じていた。(115頁)
周囲の状況からやむえない場合以外は、ナポレオンはけっして十分な軍事資源を持たないままに主要な政策目標を追求しようとしなかった。オーストリアは1796年と1797年にイタリアにおけるナポレオンとの戦いで、まず使用できる一部の兵力で戦い、それが敗れた後に第二の軍団を動員し、さらにそれが敗れた後に第三の軍団を動員するという過失を犯したが、彼はそうした失策をしなかった。もしオーストリアが全部隊を最初から使用していたらナポレオンでさえ圧倒していたであろうのに。それとは逆に、ナポレオンは使用できるあらゆる手段の全面的活用の利を信じていた。(116頁)
ナポレオンはオーストリアがウィーンを再占領したいと望んでいるのを利用し、オーストリア・ロシア連合軍の主力がまだ効果的な協力を実施するには指揮組織も部隊も統合が十分に進んでいないままで誘い出し、北から南へと近づいていたロシアとオーストリアの援軍を待たずに、時期尚早の攻撃をかけるようにしむけた(118頁)
ナポレオンの戦略計画ーより正確には、彼は固定的な不変の計画を意味するこの用語を嫌ったから彼の戦略的準備はー、圧倒的な戦術的決戦、つまり敵の野戦軍を撃滅するための一回のあるいは数次にわたる大きな戦闘を目指していた。彼の行った主要な戦役では当然ながら敵の領域内深く、敏速に兵を進めたことからも、最も重大な戦闘が行われた。しかし、その前進は特定の場所、特定の地理的目標を定めて行われたわけではなかった。むしろ相手がその動きを無視するわけにはゆかず、戦わざるをえないように強力な軍隊を相手の領域深く前進させたのである。ナポレオンの戦略は決戦を迫るか、または現実に決戦を戦うことであった。作戦自体は敵部隊の各個撃破をもたらすような中央の内線位置から開始されるか、あるいはそのような位置を占領するか、または、敵陣地を包囲し敵の背後連絡線に脅威を与えるように敵の後方に向かう機動の形を取った。(118頁)
ナポレオンは敵が数量的に明らかに優勢な場合には、できれば敵が側方に移動するのを難しくする水流などの天然の障害物で分断された地形で、味方の兵力を強力な防御陣地に配備し、できるだけ多くの予備兵力を置いて正面の戦線で戦った。一度敵が全線戦にわたって戦闘を開始したら、いまや、"中央突破部隊"としての予備隊が戦線の一部分を攻撃し、これを突破して他の敵軍の翼と後方を打撃する。もし彼の部隊が同等か優勢なら、彼は戦線を拡張して敵を包囲するよう試みるか、または分離した軍団で翼側攻撃を実施する。後者の場合は、より深い突破ができるのでより大きな成果が期待できるが、数マイル以上離れた部隊間の連絡と協調は信頼しかねるから、より達成が困難である。包囲行動はその当時の戦い、否、いつの時代でも、少しも異常なものではない。ナポレオンの敵対者たちも彼と同じくその有効性を知っていた。しかし、ナポレオンにとっては標準的な方法を敵対者たちはきわめて稀にしか試みなかったのである。正面攻撃は技術的により統制が容易であり、不慮の事態が起こる見込みが少ない。このことや他の多くのことから、ナポレオンと彼に対抗した将軍たちとの本当の相違点は、その強調度と心理的態度ということになる。(120頁)
ナポレオンが長く勝利を続けえた理由の一つは、彼に立ち向かった人々が彼の戦い方を理解し、効果的な対応策を見出すのが難しかったという事情にある。・・・長期的に見ると、これは実体的な相違と新しい種類の戦争をもたらしたが、最初は、変化が行われるものは何でも、すでによく知られていることの単なる拡張に過ぎず、それゆえに思考と行動の根本的な調整は必要ではないであろうと考えられた。(121頁)
若い頃彼は敵の力の中枢に打撃を加えることの効果を見てとっていた。敵の主戦力が撃破されさえすれば、そしておそらくはまた、敵の政治・経済の中心が占領されてしまいさえすれば、あとはなるようになるのであった。ナポレオンはまた、これらの目的を達成するための最も確実な方法が、できるだけ強力な軍隊を動員し、基本的な目標にこの力を集中することであると認識していた。・・・戦略のレベルでは、ナポレオンの巨大癖は、十分な力を持たないという基本的欠陥以外に2つの重大な欠陥を提起した。イタリア北部と中部ヨーロッパでは効果を発揮した指揮方式も、スペインやロシアにおける戦争や、1813年以降の再結束し強力にもなった大同盟に対する戦役では重荷に耐えかねてふらつきはじめた。そしてこうした無理と敗北とが軍事的・政治的決定とそれを実行に移すための措置との間のバランスを崩してしまった。(123頁)