
M・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(531頁)読了。
予定説というキリスト教の考えによると、救われる人は神様が予め決めていて、人間の努力でどうにかなるものではない。
人は、自分の職業を天職(calling)として、禁欲的労働(世俗内禁欲)に励むことによって、ようやく自分が救われるという確信を持つことができる。
そうして禁欲的に労働するから、稼いだお金も浪費することなく貯めるから、それが資本となり、結果として富を生み出す。
また、サクラメント(秘蹟)を行っても、救われる人は予め決まっているから意味がない。こうして呪術的なものが排除され、合理的な精神が育つ。
こうして「資本主義の精神」が誕生したという。
禁欲的労働(世俗内禁欲)というのは、現代の我々からすると、仕事自体が自己目的となっている「趣味は仕事」という人の人生観に近いと思った。