「戦略論の古典を読むぞ計画」で半年かけて読んだ本から「戦略」の定義を抜粋してみた。なお、孫子、マハン、ドゥーエは、戦争についてHowの観点から論じており、Whatの観点からは立論しないので、定義は特にしていなかった。こういった考え方の違いも面白い。孫子は時代も場所も他の軍事思想家と異なるから当然ではあるが。
クラウゼヴィッツ戦争論
「戦争目的を達成するために戦闘を組み合わせる活動」
「戦争目的を達成するために戦闘を組み合わせる活動」
ジョミニ戦争概論
「図上で戦争を計画する術」
「図上で戦争を計画する術」
モルトケ
「所定の目的達成のために軍人に委任された諸手段の実際的適用」
「所定の目的達成のために軍人に委任された諸手段の実際的適用」
リデルハート戦略論
「政策上の諸目的を達成するために軍事的手段を分配し適用する術」
「政策上の諸目的を達成するために軍事的手段を分配し適用する術」
これらの定義によると要するに戦略というのは戦力をどう使うかという話だから、ナポレオンによる『戦術の要訣は、「どの場所に、いかなる兵力を、いつ、投入するか」を判断するにある。』という言葉のほうが理解りやすい。
では、その判断をどうするかであるが、『わずかな例外は別として、数の優勢な方の部隊にこそ勝利は保証されている。それゆえ戦術は、闘おうと思う地点に赴いた時、どうすれば敵軍より数においてまさっていることができるか、ということを考えるに在る。君の軍隊が敵の軍隊よりも数において少ないならば、敵にその兵力を集める暇を与えず、移動中の敵を襲撃するがよい。そしていろいろな軍団を巧みに孤立させて、それらの孤立させられた軍団の方へと迅速に赴き、いかなる遭遇戦においても君の全軍を敵の数箇師団に差し向けることのできるような具合に機動するがよい。こうすれば敵軍の半数の軍隊をもってしても君は常に戦場では敵よりも強いであろう。』と言っている。
つまり、”戦場での相対的優位を作りだすこと”と言っている。
もともとナポレオンは原理や大戦術という言葉は使っても戦略という言葉は使わなかったのであるが、20世紀になって戦略という言葉は、国家戦略という国家レベルの概念となったり、さらには企業戦略という戦争とは全く関係ない商売の話にも使われるようになり、いろいろと難しい定義がされたり、カタカナ用語と組み合わせた言葉が粗製乱造されているが、もともとは単に「戦場での相対的優位を作り出すために戦闘力をどう使うか」といった意味でナポレオン以降の軍事思想家に使われていたことになる。
「戦略」というのは、議論の混乱を招きがちな言葉なので、そもそも何だったのかということを考えてみた。