結局、ドイツが破った独ソ戦開戦前の「独ソ不可侵条約」。短兵急に締結されたため両国政府の正式な国璽がなく封蝋も付いてなかった。企業間でいったら稟議は決裁されたけど捺印されてない契約書みたいなもんだ。だから破っていいとヒトラーは考えたわけじゃないだろうが。

ヒトラーはナポレオンのロシア遠征の失敗を繰返したと言われるが、戦史を読むと両者の戦略は大きく異なる。少なくとも1941年のモスクワ攻略失敗後、陣地死守を命じたヒトラーの決断はナポレオン軍のような退却に伴う崩壊を回避した点で正しい。そして主戦場はロシア南部へ。

独軍にモスクワを包囲されたスターリン。政府機能は疎開させても自らは危険なモスクワに留まり戦争指導を続けた。それがモスクワ市民とソ連軍の士気を高め、モスクワ反抗作戦の成功の一因になった。猜疑心の固まりのスターリンならこういうとき真っ先に逃げるのかと思っていたので意外。

日本軍による米国に対する真珠湾攻撃、ドイツ軍によるソ連に対するバルバロッサ作戦、いずれも電撃戦による短期決着を狙ったが、長期戦に持ち込める資源と工業力のある国がそう簡単に降伏するはずもない。

史実と異なり、1941年「台風作戦」が成功しモスクワを占拠し、また、1942年「ブラウ作戦」が成功しコーカサスのバクー油田を占拠していたとして、ドイツは独ソ戦に勝利できたか。残存のソ連野戦軍に後方の守備隊を各個撃破されロジスティクス上の問題が発生しジリ貧になるんだろうな、結局。

縦深の国土を持つ敵国に、戦術的に優秀な軍で電撃戦よろしく快進撃しても、ロシア遠征時のナポレオン軍、日中戦争時の日本軍、独ソ戦時のドイツ軍のように、ロジスティクスが保たなくて、戦闘に勝って戦争に負けることになるわけだ。

独ソ戦終盤劣勢となったヒトラーの確地戦略。作戦上の重要地点を確地とし、敵に包囲されても撤退せず、多数の敵兵力を誘引して消耗させ、反撃の機会が到来するまで死守すること。これは独軍への事実上の死刑命令。

ベルリンが陥落。1941年6月22日から1945年5月8日まで1416日間の全面戦争。死者3800万人。一日平均2万7000人が犠牲になった。それでも21世紀に戦争は存在する。もはや人間の性(さが)か。