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Blundering to Glory: Napoleon's Military Campaigns

Renowned for its accuracy, brevity, and readability, this book has long been the gold standard of concise histories of the Napoleonic Wars. Now, in an updated and revised edition, it is unique in its portrayal of one of the world's great generals as a scrambler who never had a plan, strategic or tactical, that did not break down or change of necessity in the field. Distinguished historian Owen Connelly argues that Napoleon was the master of the broken play, so confident of his ability to improvise, cover his own mistakes, and capitalize on those of the enemy that he repeatedly plunged his armies into uncertain, seemingly desperate situations, only to emerge victorious as he blundered to glory. Exploring this neglected aspect of Napoleon's battlefield genius, Connelly at the same time offers stirring and complete accounts of all the Napoleonic campaigns.

ナポレオン伝説と異なり、ナポレオンは敵軍の位置を読み間違えたり兵力を分散配置したりと数多くの過ちを犯したが(そして敵軍も当然同様の過ちを犯している)、むしろそこから臨機応変に対応して勝利を得る天才であったと論じた本。

以下は読書メモ(7月10日追記)。

ナポレオンが敵軍の動きを予め全て計算の上で戦争したというのは作り話。戦場での現実の展開に即興で対応できたから強かった。

ナポレオン軍の機動力の勝利の典型と言われる1805年のウルム会戦。実はナポレオンの判断ミスで進撃し過ぎて、気付いたら敵を追い抜いてしまっていて、あわてて引き返したら、偶然、敵軍を完全包囲していて勝利したに過ぎない。

何百キロと行進させたイエナの戦いの勝利後、そのまま寒い寒いドイツ北方に大した補給もせずに軍を駐留させて、さらに続け様に真冬の2月に熊(ロシア軍)と兵士を戦わせるナポレオンって鬼。案の定この状況下では「皇帝陛下万歳」って叫ぶ兵士の声は何かシラケてて、中には面と向かってナポレオンにぶーたれた近衛兵もいたと書いてる。士気って大事だな。実際、熊(ロシア軍)との戦い(アイラウの戦い)はその後、負けちゃう。

ナポレオンが自軍の数的優位を有効活用する戦い方をやっと会得したのが初戦のツ−ロンの戦いから14年目の1807年のフリートラントの戦いであったという事実に驚愕。ずっと数的劣勢を跳ね返す挑戦者の戦い方をしてきたナポレオンにはいざ圧倒的に数的優位に立つ自軍をどう活用すべきかよく分からなかったというのが著者の解釈。挑戦者の戦い方と王者になってからの戦い方って想像以上に違う。

1812年ロシア遠征。進軍してくるナポレオン軍の食糧現地調達を困難ならしめるため自国の農村を焼き払う焦土作戦を計画的にロシア軍は行ったと言われているが、この本によると事実は異なるらしい。兵士の圧倒的多数が農奴出身者のロシア軍ではそのような作戦は採用できず、散発的にコサック兵による農村の略奪があったに過ぎないみたいだ。ナポレオン軍が60万で出発しながらモスクワ到着時には9万5千に激減したのは、フランス軍といいながら2/3は外国人部隊で脱走兵が多かったこと、途中の会戦で多数の死者が出たこと、ナポレオンの考えた補給システムがダメダメだったことによるようだ。  要するに、ロシア軍に計画的な焦土作戦などなく、勝手にナポレオン軍が自滅していったというのが真相みたいだ。

ワーテルローの戦いに勝利したとしても、連合軍は前年のフランス戦役のように次々と戦いを挑んできたであろうから、結局はフランス軍は疲弊して敗北しただろう。