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曹操孟徳

漢の名臣・夏侯嬰の末裔(まつえい)で、幼名を阿瞞という。父親・曹嵩が皇帝の下で権力を担ってきた宦官・中常侍の曹騰の養子となり、曹操自身も曹氏の姓を継ぐこととなった。また曹氏の先祖は漢の重臣・曹参とされる。

 だが若い頃の曹操はずるがしこい悪ガキの総大将といったところだった。このため多くの知識人からは疎まれていたが、四代三公の名門の出自である袁紹とはウマがあったといわれている。また一説によれば、曹操は他の群雄と比べ体格も小柄で、みすぼらしかった。また宦官の子孫ということもあって、士大夫からそのことを馬鹿にされていたという。しかし若い頃に批評家で名高い許劭に、人物評をしてもらったところ曹操のことを「治世の能臣、乱世の奸雄」と評し、それを聞いた曹操は大いに喜んだといわれている。これらのことからも曹操という人物の異端ぶりがうかがえるのである。 
  曹操は20歳の時、宮中の北門警備隊長となっている。この時の職務遂行ぶりは苛烈を極め、相手がどんな重臣であろうとも手を抜くことなく、宮廷内の人々を大いに震え上がらせたという。

 その後に起こった黄巾の乱討伐や董卓討伐戦でも武功があり、曹操の名前は全土に鳴り響いたといわれている。その後軍の再編を進め、青州の黄巾賊の残党30万を討伐し、これを青州兵と名付けて自身の勢力に組み入れることで兵力を増大した。また献帝を擁護したことで、多くの知識人や勇猛な武将たちが集まり、着々と地盤を固めていったのであった。

 その後は河北を治める袁紹を破るなど、勢力を拡大し中国全土の2/3を掌握するに至った。しかし曹操自身は決して皇帝の座に昇ることなく、220年の正月に「わしは周の文王になろう」という言葉を残して66歳で没している。

 政治家として、また軍の指揮官としてだけでなく、曹操は一人の文人として名を残している。曹操は『孟徳新書』という孫子の兵法書の注釈を残している。正式には『魏武注孫子十三篇』といい、現在でも孫子が読めるのは曹操の功績でもある。また詩人としても著名であり、まさしく三国志一の天才だったといえる人物である。

曹操はやっぱりかっこいい。

Yahoo!JAPANの三国志特集でやってる三国勢力図投票みるかぎり、
蜀の人気がなお根強い。魏が一番ではと思っていた自分にとっては意外な結果だ。

それにしてもレッドクリフの曹操の人物設定はどうにかならないものか。
小喬ごとき女性ひとりのために戦争をおこす曹操ってどんな曹操だよ。
レビューを見ると、三国志を読んだことある人には不評、
まったく三国志を知らない人には好評のようだ。
つまり、娯楽作品としては成功しているということなのだろう。