リデル・ハート「戦略論」原書房(森沢亀鶴 訳)

1.目的を手段に適合させよ

目的を決定するにあたっては、明確な見通しと冷静な計算とを重視すべきである。「消化能力以上の貪欲」は愚である。軍事的英智は「何が可能か」を第一義とする。それゆえ、誠実を旨としつつ、事実に直面することを学ぶべきである。

2.常に目的を銘記せよ

計画を状況に適合させる間、常に目的を銘記しなければならない。目的達成のためには方法は1つではなくそれ以上あるが、しかしいかなる目標も必ず目的に指向されるように細心の注意を払うことを忘れてはならない。

3.最小予期路線を選べ

敵の立場に立ってみることに努め、敵が先見し、あるいは先制することが最も少ないコースはどれであるかを考えよ。

4.最小抵抗戦に乗ぜよ

わが方の基本的な目的に対し寄与すべき目標へ指向されているという条件を充たすところの最小抵抗戦を利用すべきである(戦術においては、この金言は予備兵力の使用に適用し、戦略においては随時の戦術的成功の利用に適用するものである。

5.予備目標への切替えを許す作戦線をとれ

こうすれば、敵をジレンマの立場に追込み、敵の守備の最も薄い目標を少なくとも一つは攻略できる機会を確保するところまで進むことができ、またそれを手がかりとして逐次攻略することが可能となろう。

6.計画および配備が状況に適合するよう、それらの柔軟性を確保せよ

わが方の計画は、成功を収めた場合もしくは失敗に陥った場合、または部分的成功を収めた場合(これは戦争に最も多いことである)において次のステップを予見し、それを生み出すべきである。

7.対手が油断していないうちは、わが兵力を打撃に投入するな

非常に劣勢な対手に対する以外には、対手の抵抗力または回避行動が麻痺状態に陥らない限り、効果的打撃を加えることは不可能であるということは歴史上の経験の示すところである。であるからこのような麻痺状態が十分に進行していない限り、いかなる指揮官も敵に対する真面目な攻撃を発揮すべきではない。

8.一端失敗した後、それと同一の線に沿う攻撃を再開するな

単なる兵力の増強は必ずしも新規の線に沿う攻撃を意味しない。そのわけは、敵もまたその休止の間においては自己の兵力を増強しているであろうことは有り得べきことであるからである。

クラウゼヴィッツの「戦争論」に引き続き、リデル・ハート「戦略論」。
敵の抵抗の予想される正面攻撃を避け、奇襲・陽動・後方連絡線への機動により、敵を、特に敵司令官の心理的混乱を誘発し勝つ「間接的アプローチ」を説いた戦略論の古典。

ナポレオン戦争に適用して上記テーゼを考えてみると。。。
第1次イタリア遠征におけるロンバルディア平原・ガルダ湖畔での機動戦
第2次イタリア遠征におけるアルプス越えという戦略的機動
ウルム戦役での欧州大陸を横断しての包囲機動戦
アウステルリッツ戦役でのプラッツェン高地での戦術的陽動
などは「間接的アプローチ」の好例として評価されている。

これに対して、「イエナ・アウエルシュッタットの戦い」や「ボロジノの戦い」、「ワーテルローの戦い」など「大陸軍(ラ・グラン・タルメ)」による圧倒的兵力による正面突破を目指した戦いについては否定的な評価が下されている。

確かに、ナポレオン戦争の本を読んでいると、「プロイセン戦役(イエナ・アウエルシュッタットの戦い)」以降の戦役は、「第1次イタリア遠征」の時のような機動戦の「スピード感」が消失し、「力押し」という印象を受ける。

「第1次イタリア遠征」当時に「師団」を変幻自在に操ったように、「大陸軍(ラ・グラン・タルメ)」が完成した「プロイセン戦役」以降の戦役においても「軍団」を変幻自在に操れればよかったのだろうけど、「ロシア遠征」についてよく言われるように、当時の通信手段からするとあまりにも規模が大きくなりすぎて、それは難しかったのだろう。

とするとリデル・ハートの批判は無理な注文ということだろうか。。。それとも、「大陸軍(ラ・グラン・タルメ)」規模の軍隊でも「間接的アプローチ」を採用する妙案があるということか。しかし、そうなるともはや「軍事」ではなく、「政治」や「外交」上のしたたかさが必要になってくると思う。

↓ロシア遠征で力押しする「大陸軍(ラ・グラン・タルメ)」