イメージ 1

公示の原則と公信の原則

むかし、むかし・・・
村のはずれに大きな木があって、これに神さまが宿っている。
おさい銭をあげて祈ると幸福をもたらしてくださるが、
小便をひっかけたりすると神罰がたちどころに至る。

旅人がよそからやってきて、そうした神木であることを知らないで小便を
ひっかけて神罰たちどころに至っては、旅人はやりきれない。

そこで、そうした実体的な権利が存在する場合には、
必ず「しめなわ」を張って神さまが存在することを示す。
これが『公示の原則』である。

ところが、いたずらに小僧が神さまの宿らない普通の木にしめなわを張ったとしよう。
旅人は、これを知らずにそこにきて、おさい銭をあげて幸福を祈った。

実体的に神さまがいないのだから、何も効力が生じないはずなのだが、
「しめなわ」がかけてあるものだから、神さまがいるだろうと信じた者のためには、
神さまがいると同じような効果を生じ、やはり幸福がもたらされるということになれば、
それは『公信の原則』である(民法案内3物権法(上)242頁より引用)。
めでたし、めでたし。。。

民法を勉強すると必ずお目にかかる『公示の原則』と『公信の原則』の
「まんが日本昔ばなし」のような理解りやすい説明です。さすが我妻博士。

さて、近代民法の出発点といえばフランス民法典(ナポレオン民法)。
フランス民法典といえば、トロンシェ、ビゴ・ド・プレアムヌウ、ポルタリス、マルヴィル
の4名にナポレオンが起草させたものです。そこで、強引にナポレオンネタ。

ある人の性格を知ることは、その人の行動の鍵を握ることである、といわれる。
これは間違いである。根は立派な人でありながら悪い行いをする者もあれば、
意地悪でなくても意地悪いことをする人もある。
というのも、人間は決して、生まれつきの性格に基づいて行動するのではなくて、
心の深層に隠されていたその瞬間のひそかな情念によって行動するものだからである
(ナポレオン・ボナパルト)。

では、世間の人は、公示の原則・公信の原則のいずれによって
他人を判断しているとナポレオンは考えているのでしょうか?