我妻博士は、「近代法における債権の優越的地位」という論文で、
金融資本が、担保制度を通じて、産業資本を支配すると述べていました。

何やら難しい表現ですが、つまりは、
銀行が会社に貸金債権の担保に抵当権を設定しまくる、
逆にいえば会社は抵当権を設定することで資金調達しまくる、
社会だという事だと思います。

しかし、最近では、収益(キャッシュ・フロー)さえ生み出せば、
何でも投資対象にできる「証券化・流動化」が急成長しています。
ここでは「株式」「社債」も、会社全体の「証券化」と考えれば、
伝統的なエクイティやデッドも「証券化・流動化」の潮流の中で
捉えることができるかと思います。

そして、逆に言えば、キャッシュ・フローを生み出さなければ、
誰も投資してくれませんから、会社の資金調達も難しいということになります。

また、キャッシュ・フローによる圧力は会社だけではなく、
資金運用者なら誰でも受ける社会になってきているようです。
しかも世界規模で起きてますね。

日本の場合、貯蓄が動いて血液としてグルグル循環すればいいわけですが、
本当に日本人が市場にみんながみんな投資するかなというのが率直な感想です。

そのような国民性の中で、キャッシュ・フローが猛威を振るうと、
また変なひずみが生じるのではないでしょうか。

政治の世界では、
中庸が一番と言われますが、
経済では、どうなのでしょうか。

経済で中庸ってなんだという疑問もありますが、
よくわかりません。こういう場合はシャハト博士にお任せしましょう。