『国家の品格』(藤原正彦著・新潮新書)を今更ながら読みました。

「論理」というものは、「公理」を出発点として展開していきます。
ではその「公理」として何を選びとるか問題となります。

西洋文明は、その「公理」として「カルヴァンの予定説」を選んだと藤原先生は言います。

『恐らく教会の過剰な権威を否定するために生み出されたカルヴァンの予定説と、
王権神授説に対抗し個人の権利を確保するためにカルヴァン主義を利用したロックの自由、
平等、国民主権などが、現代のすべてです。・・・世界はこの教義、およびそこから出発した
論理に取り憑かれています。教義を信じているからこそ、アメリカはそれを自信満々で押しつけて
きます。アメリカが信ずるのは一向に構いません。ただ、こうした思想と論理の浸透した文明国が。
みな荒廃に陥っていることは注目すべき事実です。』

つまり、M・ウェーバーや小室直樹先生と同様の説明をなさっています。
小室先生は、日本人に「近代合理主義精神」がまだまだ根付いてない事を嘆じられますが、
藤原先生は、別の道を行けと論じられます。

つまり、「武士道精神」に則った、「情緒と形」を大事にする「品格ある国家」です。
「品格ある国家」とは、‘販不羈、高い道徳、H?靴づ脹燹↓づ刑佑稜攴
の徳目を体現している国家とされています。

西洋文明とどう折り合いをつけるか、という100年前からのテーマの21世紀最初の論考でした。
そして、この本を読んでいて漱石の「草枕」を思い出しました。

『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』(夏目漱石「草枕」より引用)

『画』は出来るのでしょうか。