ボナパルト将軍は、調査の結果、ピエモンテ軍とオーストリア軍の結合部分は、イタリア遠征軍指令部のあるサヴォナから、カディボーナ峠という峠を越えたところにあるカルカーロという都市であると判断しました。この都市を確保すれば、ピエモンテ軍とオーストリア軍の合流を防ぎ、ピエモンテ軍撃破に集中できることになります。

そこで、次のような決定が下されました。

第1に、マッセナ師団は、サヴォナからカディボーナ峠を越えてカルカーロを目指す。

第2に、オジュロー師団は、サヴォナ西方のフィナーレという都市からカルカーロを目指す。

第3に、セリュリエ師団は、西方のピエモンテ軍に牽制攻撃をする。

つまり、マルティームアルプスの丘陵地帯東方では、マッセナ師団・オジュロー師団による連合軍の結合部分への攻撃が企図され、マルティームアルプスの丘陵地帯西方では、セリュリエ師団による、ピエモンテ軍の注意をそらすための牽制攻撃が企図されていたのです。

以上の作戦計画は、1796年4月15日に発動される予定でした。