小学校の先生に

言葉遣いについてずっと怒られ続け

その言葉通りに

それを両親に伝えると

先生の言う事を聞けと怒られ

一時期悩んだ事がある



馬鹿だ阿呆だ

死ねだの殺すだのという言葉は

普通に家でもクラスでも

みんな使っているのだから

何も自分だけではない



そもそもテレビドラマや映画

バラエティのコントでも当たり前に

使われているから真似するだけ

そのハッタリや脅しに

屈する方が負け犬扱いを受けるから

こちとら負けてはいられない



しかし時代は

その感性を否定した



先生に怒られる度に

家では当たり前に自分も言われていると

何度話しても

そんな家族は存在しないと

ますます怒られる始末



どうしても直さないのなら

親御さんを呼んで話をすると言うから

それは脅しではないですか?と思ったけれど

逆にこちらが嘘をついていない事が

証明出来ると思い直して

そうだそうしてくれればはっきりすると

先生に伝えると開き直るなとまた怒られて

もうどうして良いのか分からなくなった



幼い頃から阿呆だから

言わなきゃ良いのに

家族にその話をすると

また先生の言う事を聞けと怒られて

いつしかハッと気がついたのだ



会話をすると

誰かしらに必ず怒られるのなら

話さなければ良い



そしてしばらく

周りのクラスメイトとも

話さないようにすると

先生に怒られなくなったから

なんだこうすれば良かったのだと

妙に納得してしまった



しかしそうなると

今度は周りのクラスメイトが

黙ってはいない

彼らが逐一先生に告げ口をしていたのか

問題が起きなければ起きないで

つまらないと見えて

あえて喧嘩をふっかけて来るから

言い返すとまた先生に怒られた



今度という今度は

親御さんと話さなければと

鼻息荒く両親を学校へと呼び出し

本当にご自宅で

お子さんに向かって殺すなどという

言葉を投げかけるのですかと問い



はい

我が家では当たり前です

それが家の躾ですと

両親は何の躊躇も無く答えた瞬間

すかさず私もだから言ったでしょ!と

嘘なんかついてない事を

先生に認めて欲しくて話したら

お前は黙ってろ!コノヤローみたいな事を

父親に怒鳴りつけられ撃沈



しかし先生には

嘘をついていない証拠となり 

私は満足だったけれど

先生には刺激が強過ぎたようで

泣きながらあとは大人同士で話をするからと

教室から出されてしまった



両親は先生からお叱りを受け

家でも言葉使いを変えようと努め始めたが

祖父母にはなんの事か分からず

そのまま死ねだの殺すだのという言葉を

それまで通り変わらず使い続けた



夕食時の団らんも

かなり幼い時にお喋りしながら

ご飯を口に入れてボロポロこぼすものだから

祖父から食べながら喋るなと怒られ

それでも気にせず直さなかったものだから

突然家から追い出されて

夕飯抜きの刑を受けた事がトラウマとなり

小学生の頃にはすっかり

黙って食事をする習慣が身につき

早飯が特技になっていた



私が食事を終えてから

両親が祖父母に教育上よろしく無いからと

言葉づかいについて文句を言い出し

それが元で喧嘩が絶えなくなった



両親が先生から指導を受けて

両親が改心したせいで祖父母と仲違い

半年もしない内に

母親が離婚を決意したらしく

突然出先の車の中で

父親と母親どちらと暮らしたいかと問われ

父親を選び母親を捨てた



結局振り返れば

ほんの数時間の別れだったけれど

もう母親とは会えないのだと

心の底から思い込み

涙を流しながら遠ざかるその姿が

見えなくなるまで見つめながら家に帰り

何度も父親には母親について行けと

説得されるたびに自分の居場所を失い



その日の夜に母親も帰り

次の日には何事も無かったような感覚だった



しかしその後

半年もしない内に

両親と兄と私が実家を出て

近くに部屋を借りて

祖父母と別居する事となり

家族が崩壊した



酪農が家業だから

父親は祖父母が暮らす実家へ毎日通い

誰もその作業を手伝う事も無くなり

それから十数年間

一日も休む事なく一人で働き続けた



高校卒業後

極端に実家には関わら無いように

過ごしてしまったから

未だに幼い頃の感覚しか残っていない



あの小学校の担任も

間違った事はしていない

言葉使いは心遣い

今の世ならハラスメントを超えて

脅迫罪にすらなり得るのだから

あの時点で正してくれたのは

有難い事だったのかもしれない



ただ善行が必ずしも

幸福を呼び寄せるとは限らない

我が家が良い標本だろう