中高年を観察すると

お喋り好きが多い事に驚く



職場のミーティング

朝のスポーツクラブなど

その世代に囲まれると

喋らないだけで

奇異の視線を向けられる



彼等同士が出会うと

これは世代を問わずだけれども

パーティピーポーな性格は

誰に会っても嬉々として笑い

キャッキャッとはしゃぐ



その話している姿は

こちらからすると楽しそうなのに

どこか鬼気迫る迫力があり

勝手に家では家族との

コミュニケーションが足りず

その欲求をこの時間で埋める為に

貪欲になるあまり

どこか寂し気に感じるのだろうか



最近よく考えるのは

やはり生まれた時から

テレビが家にあった世代と

無かった世代間に

大きな感覚的なグランドキャニオンが存在し

幼い子供とは放っておけば

家族の誰かに懐くと相場が決まっていて

誰に聞いてもそんなものと

言うものだからテレビを見続けさせたら

コミュ症を発症して黙り込む始末



それでも愛のムチ教育を施せば

こちらの言う通りにするのだから

辻褄は合っていたけれど

テレビゲームやらバラエティ番組やらと

家族の背中を見る前に

まったく知らない誰かに憧れて

家を出てしまえばそれっきり



おそらく団塊世代も

人生の比較的早い段階でテレビと出会い

老後の暇つぶしはテレビというのは

その親世代すら当たり前なものだから

未だにテレビを見ながら会話する



しかしスマホの通信費が安くなり

連絡手段や情報収集だけでなく

あらゆるエンターテインメントを

そこから得てはSNSサイトへと

投稿するのが一般化された

団塊ジュニア達も現実に流されて

会話を捨てているのかもしれない



礼節や挨拶といった

いわゆるビジネスマナーが

一般化されて

気持ちを伝える行為から

好意をもたれる為のテクニックとして

会話を捉えはじめたのか

素敵な笑顔でディスられたせいなのか

沈黙を美徳とする世代ヘと進化



交流はSNSで充分満たされ

スポーツやサウナといった感覚リセットを

習慣にしては一人旅を楽しんだりと

会話よりも投稿活動のほうが

年齢的にもハラスメントだと言われかねない

直接コミュニケーションよりも

気が楽だとのめり込み

今後ますます会話を捨てるかもしれない



そんな親に育てられた

次世代にも会話を嫌う人は

おそらく一定数は生まれ

やがては昔の文通のように

顔も知らない誰かとしか交流しない

なんて事が流行るのだろうか



ビジネスシーンでは

もはやメールのやり取りが

主な職務などという人もいるのだから

あながちあり得ない事でも無い



しかもその文面をAIに書かせて

お互いに送り合うとすると

それはもう誰と誰の交流かも分からない

知性と知性が直接絡み合い

新たな何かを生み出すというのか



エアメールからAIメールへと

移行した社会には

もはや人類すら不要かもしれないと思うと

ちょっとだけ誰かと

話してみようかと考えて

呑みにでも行くかと遠出を考える