2016・11・6    碓氷峠を登る | 高橋 丈のブログ

高橋 丈のブログ

山を登るということ、辛い時の方が多いかも知れません。
でも、頂上で交わす握手や笑顔は代えがたいものが有ります。

日帰りハイキング、夏山縦走、雪の山、
色んな山について、ここで紹介したいと思っています。

あの日は高崎駅9時出発で、
峠の入り口がある坂本宿へ着いたのは10時半頃でした。

その前に碓氷の関所跡も車中からチラッと見学でした。
登山口というか入山口というか、
そこには解説板もあります。

当時、草鞋(わらじ)姿で重い荷を背負ったり、馬を引いたりしていた道を
登山靴を履いてゴアの雨具など装備して登り、
当時の人達がいかに大変であったか想像しながら登る、
そんなコンセプトで一歩一歩峠道を登り始めました。


コース序盤は杉林の中です。
ところで、中仙道って?
東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、そして中仙道は当時、主要五街道と呼ばれ
その中でも碓氷峠は難所中の難所と言われていたということです。
日光街道は・・・・日光へ通じる道
甲州街道は山梨へ通じる今は中央高速周辺で、
小仏峠が甲州街道の峠の一つですね。
東海道は言わずと知れた海沿いの道
奥州街道・・・?東北への道で、例の奥の細道の、みちのくへの道ですね。
そして中仙道は内陸を江戸から京都までだそうです。


こんなプランを立てると自分も少しだけ勉強になります。
こんな勉強を学生時代にもっとやっておけば違う人生が・・・
(愚痴です。いや後悔ですかね。)
そんなお話をしながら登って行きます。

結構急な道です。 
こんなところ馬が通れたのかな?


暫く急登のため、無言の状態が続いていました。
あれ~、鉄塔です。

近代の産物があります。
そして坂は続き、後方から来た人に道を譲ります。
「どうぞ、どうぞ!」

やはり峠越えの人は居るのですね!

そして柱状節理のある個所に来ました。

節理とは・・・先日の「ブラタモリ」の番組で、割れ目であると言ってました。
ということは柱状にある割れ目ということとなりますかね!


そこには色んな碑もあります。

裏を見ると・・・・文政八年と刻印が刻まれてあります。

文政八年とは・・・1825年 その年に生まれた人が生きていれば
191歳です。
200年近く前に建てられた碑です。
こちらは天保@@年、1830年代です。
確か、天保3年に浅間の大噴火が起こった頃です。
200年も前にこのような大きな石を
いったいどうやって運んできたのでしょう。
信州佐久の@@さんの名前があります。

一同 「う・・・ん。」

そしてこんな看板、解説板もあります。

そんな訳でこの辺が急登だったのですね!

この石垣というか石積もきっと昔の人が積んだものですね。


そしたら、自転車で下ってきた人達と遭遇!
色んな事を考えている人も居ます。
馬の代わりにチャリンコです。

「こんにちは、すごいですね~。自転車ですか!」
そんな会話で挨拶を交わさしてすれ違いました。


坂を上がると・・・
展望の良い箇所に出ました。
「のぞき」という名前が付されてあります。

小林一茶も見た景色なんですね。
下に見える1本道は坂本の宿場です。

すぐ先には馬頭観音です。
馬が此処で死んだりして、祀ったのでしょう。

天保7年は・・・1836年で180年ほど前におなります。

資料を見て説明する私です。(参加したTTさんの撮影です。)

碑には3月とありますが、まだ残雪も残っていたことでしょうね。
そして、信州佐久郡・・・。
佐久からもってきたのでしょうか。大したものですね!

そして道はやや緩やかになり、

色んな井戸もあるのですね!


また解説板です。

見渡すと、本当に石垣があります。
4軒でこの広さだとすると茶店も小さなものだったようですね。


丁度その頃でした。
5~6人の外国人の人達が下って来ました。
訪ねるとオーストラリアから来たと言います。
そして、日本の古道を歩いているとのこと。
オーストラリアでは古道を歩くことが、少々人気があると言ってました。
皆さんはネットで知り合った仲間だそうです。

「サンキュー シー ユー アゲイン!」
いや~、世界は狭くなり、
こんな峠道を外国から歩きに来るなんて・・・

そして一同は・・・
「あのような解説板が英語だったら、
      あの皆さんはもっと面白いのにね!」
そんな会話でした。



やがて
周辺は自然林へと変わり、明るい林となりました。

そろそろ昼食ということで、
この辺で・・・
テント張って、中で煮込みうどんです。

全員で材料を背負い分担で担ぎ上げました。

熱々の鍋に野菜と鶏でだしを取って、刻みねぎをのせて・・・
はい、出来上がり。

テントのフライが無いので、テントの中は明るく、
鍋の熱で暖かく
フルーツや漬物まで出て来ました。
色んな話をしながら1時間近く掛けてゆっくりと昼食でした。


みんなテントの外に出たら、うわ~っと体を伸ばして自然にストレッチです。


さあ~出発しましょう!

最後尾を登る TTさんが取ってくれた写真です。
まるで遠足のようです。

そして軽井沢ン近く成る頃、カラマツの中に真っ赤な紅葉も見えました。

みんなで同じ木の写真を撮りましたが、出来上がりはいかなるものでしょう。


一旦沢まで下ってまた登りがあります。

そして登り上げれば花M、上り山への登山口です。

私が何かジョークでも行ったのでしょうね、
私は思い出せませんが、IAさんも TTさんも、思いっきり笑っています。

そしてとうとう到着しました。
碓氷峠の終点です。
1時間の昼食休憩など入れて、5時間半でした。

赤い線が県境です。

茶店に入って・・・
力餅をみんなで頂きました。

11月6日、夕方の軽井沢を車でゆっくり走ると、
真夏の混雑はなく、やや淋しそうな景色に見えました。
西に傾いた夕日とすっかり葉を落とした街路樹
そしてちょっぴり寒かったせいでしょうか。


私達の中仙道、碓井峠越えは無事に終了しました。
今回はブログにアップできなかった解説板や石仏など、まだ沢山ありました。
そんな解説板を読むだけでも楽しい碓氷峠、
そして当時の人達の往来や苦労など想像すると、
もっと楽しく、色んな思いにさせられます。

1つも山頂へは登りませんでしたが、十分に楽しいコースでした。
また来年も企画したいと思っています。
皆さんも峠越えお勧めです!
新幹線で軽井沢まで行き、下ることも良いと思います。

山を登らなくても、こんな楽しみがあることも大発見でした。

よかった、良かった!