なるほど・・・
尾根の両サイドを削って細くして応戦に備えてのですね。
1590年ですから、今から426年も前のことです。
そんな地形が今の残っています。
時間の経過を考えると、
少々信じがたいですが、両サイドが削られて細くなってます。
戦国時代の面影を感じます。
私もその道を通過しました。
そしてまた看板です。
この辺は、歩きやすい道です。
そしてこんなエリアになりました。
そして中仙道の道はこんな形状にもなってます。
こんな道なら、道迷いはないでしょう。
きっと登山道と同じ様に
人が歩き、道が出来、
そこに雨氷が流れ、
長い年月によりこんなに深くなったのでしょうね。
そろそろ一息入れたいと思っていると、
右手に鼻曲山が見えて来ました。
もう私の目線より少し高い位くらいになってます。
峠はもうすぐかな?
平坦な道を進むと、
山中茶屋跡という場所に来ました。
13軒も茶屋があったとのことです。
当時の賑わいがいかなるものか想像できるようです。
周囲を見渡すとあと3kmという表示があり、
それを見た私の気持ちも緩んでしまい、
小休止です。
やはり良い所に茶屋はあったんですね~。
ポットのお湯でうす~いコーヒーを作って休憩です。
もちろん、エネルギー補給も菓子パンで。
この辺は道路造成の跡もあります。
こんな擁壁があり、地盤から1mも高い位置となってます。
やっぱり、雨水で土が流されたのでしょう。
右は側溝で左は擁壁です。
造成した当時の路面の高さが見えるようですね。
やはり、
えぐられた中山道の道は雨水による浸食の可能性は高いですね。
味気ないコーヒーは取りやめにして
最近smさんから教わった「ブレンディ ティ スティック」のレモンティと交換です。
酸味と甘さで疲れた体に染み渡る感じが何とも言えないです。
足元のヘビイチゴが綺麗でした。
マムシグサやヘビイチゴという名前、
なんと可哀そうな名前ですね~。
殆んどの人がそう思っているのじゃないでしょうか。
偉い学者さんがもし見ていたら改名をお願いしたいですね。
となると・・・
名前は・・・
それは和風の名前が良いと思います。
さてさて・・・この辺で出発しないといけません。
ふと上を見ると
廃屋です。
そしてネットで良く紹介されているバスの廃車したもの。
昭和の時代を感じます。
今日は戦国時代や江戸時代、そして昭和と触れ合う中仙道です。
我ながら歴史を語る1日です。
造成された道と別れると
なるほどね~!
人も辛いですが、馬も辛い道ですね!
そして登りです。
あの尾根を登ったら、終わり?
そんな思いです。
そして
道標です。
左の谷にはワサビ田も見えました。
そしてついに峠越え終了です。
人家が見えました~。
力餅を売っている茶屋です。
長い歴史があるお店なんでしょうね。
庭の赤線は県境とのこと、右が信州、左が群馬県、いや上州です。
バス停もありますが、今日は15日でした。
残念!
観光会館は旧軽井沢の歩行者専用道路沿いにあります。
そして長い長い道を軽井沢駅まで歩いて来ました。
時刻表を見ると2時間近くバス待ちです。
5分差でした。
参った参った!
でも最後のバスに乗れそうなので良かったです。
ザックのオレンジを食べたり、コーヒーを飲んだりしても時間が有り余ってます。
午後4時も過ぎて少々風も冷たく感じダウン着用です。
ちなみに軽井沢から高速バスがあり、
池袋まで片道2600円
横浜駅じゃなくて新横浜駅ですから少々離れますが片道3600円です。
6時のバスに乗って碓氷バイパス(旧道は1日1本です。)を横川駅まで行き、
暗い道を坂本宿まで歩いて戻って来ました。
パトカーが巡視してまして、スピードを落として職質されそうでしたが、
ザック背負って登山靴だったので安心したのでしょうね!パスでした。
今回バスの時刻勘違いが無ければ順調な碓氷峠越えでした。
峠途中の解説版は全てアップし切れないため、
半分以下の紹介とさせて頂きました。
2回15分位の休憩を入れて3時間半掛りました。
まだまだこの時期の軽井沢は春先と言った気候でしたね。
平日でしたが下りのコースを歩く人と計3パーティで、
登りは私だけでした。
でも色々解説表示も沢山あり、色々と歴史を感じる山旅、峠みちでした。
良かったです。
おススメです。
※バスの時刻とルートは事前に確認すると良いです。
タクシーは4人乗りが多いですね。
いつも長いブログでスミマセン!