新潟を行く-廃線跡と旅行貯金- | 旅行貯金Blog

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旅行好きに根強い人気のある「旅行貯金」。
その記録をつづったBlogです。
※Yahoo!ブログから移行してきました。

これも、同好の士とともに作っているサークルの会報からの転載です。新潟には子供の頃から行ってたんですが、やはり運転免許をとってからが回る機会が増えました。何度目かはわからないですが、そのときの文章です。

-----以下、転載です-----

新潟県内にある母の実家に行くことになった。新潟での前回の貯金は2000年8月、丸3年していなかった。
2000年は、関越自動車道を小千谷ICでおりて、長岡、与板へと抜けた。そのときは、小千谷から来迎寺にかけて旧国鉄・魚沼線沿いに走った。ただ、旧西小千谷駅前にある城川〒や、旧片貝駅裏にある片貝〒に寄らなかったため、途中で線路跡を眺めただけであった。
その先、来迎寺からは旧越後交通沿いに走った。とはいえ、廃線跡を目的に走ったわけではなく、ところどころで発見しただけにすぎない。地図を頼りに探し出した農協内の大津簡易〒に立ち寄り、貯金非取り扱いにショックを受けて建物を出たとき、その目の前が旧槇原駅であった。ここにはホームや駅名票が残り、見るからに廃駅であることがわかった。次の与板でも遺構の発見を期待したものの、残念ながら見つけることはできなかった。
そして今年は、同じく関越自動車道を長岡ICでおりて、出雲崎、寺泊へ向かって行くことにした。寺泊にも旧越後交通の廃線跡があるのだが、1973年の部分廃止から30年が過ぎたことと、街中の大渋滞で探す気力がなかったこと、そして”魚のアメ横”での昼食を最優先としたことから、見つけることをせずに先に進んだ。
寺泊からは巻、羽生田と抜けることに。途中に立ち寄ったのは六分簡易〒(12810)。局舎(といっても民家みたいな建物)の前には小さな広場があり、局舎に向かって左手を見ると、そこには「六分」と書かれた駅名票が立っている。そこが、旧新潟交通の六分駅前広場だった。1993年の廃止から10年、線路跡は既に道路や住宅になっており、駅名票も駅前広場に再設置されたものであり、ほとんど痕跡は残っていない。ただし、ちょっと離れた県道横には鉄橋跡も残っておりましたが。
最後に、羽生田から村松に山道を抜けた。そこにはもちろん、旧蒲原鉄道の村松駅がある。村松駅には、鉄道運行中に2度訪れたことがある。1度は、まだ加茂まで全線営業していたときに乗り換え、もう1度は部分廃線後に、この会の某メンバーと乗りに来たことがあった。しかし、廃駅になってからは未訪であった。だからこそ探そうとしたものの、街中にある村松〒(12021)に立ち寄るだけでタイムアップ。今回は残念ながら見つけることができなかった。

 これ以外にも、旧国鉄・赤谷線の線路跡に辿ったこともある。鉄橋跡や築堤が残り、併走する県道からも眺めながら、局巡りをすることができた。たまにはこんな旅行貯金も、いいのではないだろうか。

-----以上、転載終了です-----

このときは2003年なのですが、今年も新潟に行ってきました。まだまだ、回っていないところが多いので、しばらくは新潟通いも楽しめそうです。