大学の友達や横浜に居た時の友達が、僕の事を気にかけて義援金を集めてくれた。なんだか申し訳なかった。
僕も奥さんと一緒に被災地の子供達へクレヨンや塗り絵を集めて送ったり、コンタクトレンズのケア用品を集めて都庁まで持って行ったりしていた。
義援金は友人のアベちゃんが集めてくれた。アベちゃんは集めた義援金の一部を被災地が実家の僕と、同じく相馬で本屋さんが実家のJINに、そして残りの一部で救援物質としての水を買った。
「被災地に行きたい。」
アベちゃんの言葉を受けて僕も被災地に行く事にした。沢山の水を積んだアベちゃんの車には僕達の先輩の南さんが同乗し、僕はその前日から動き出したばかりの飛行機で被災地へ向かう事にした。奥さんとレオが少し不安そうに僕を見送ってくれた。「あなたは行くべき」と奥さんが言ってくれた。
羽田発仙台行 早朝の羽田空港は節電の影響で薄暗かった。空席無し。機内は混み合っていたし、不思議な緊張感に包まれていた。僕は窓際の席だった。真ん中と通路側の席に座る夫婦らしき男女は喪服姿。それ以外にもそんなフシの方を見かけた。いたたまれない気持ちになった。少しでも気持ちを落ち着かせ様とヘッドフォーンから音楽を聴きながら目を閉じてフライトをやり過ごした。少し機内がざわついたの感じ、目を開けた。みんな窓の方に目を向けている。僕もシェードをあげて眼下を眺めた。砂浜だったり道だったであろうと思われる地面が黒い。ヘドロだ、津波にやられたんだ。そう感じた。地平線の果てまで続く海面にもそれが何だったのかはもはや解らないガレキが何十キロも先まで漂っているのが見える。僕は眼下に広がる変わり果てたこの大地に降り立つ事に恐怖を感じた。
高度を下げると空港の敷地が見えて来た、しかしそこには僕が知る仙台空港の面影は無かった。何本かの滑走路が大地にあるだけ、映画なんかで見るアフリカの草原の中の空港の様だった。防風林も周りの建物もみんな津波でなくなったのだろう。ただの更地だった。でも、滑走路の回りには作業服を来て飛行機に手を振るヒトの姿が見える、空港のターミナルビルの近くではがんばろう宮城の横断幕を掲げているヒトの姿が見える。心折れずに立ち続ける姿を見て僕の中の怯えは吹き飛んだ。着陸して飛行機を降りる時にフライトアテンダントのヒトがお気を付けてと言って1人1人と握手をしていた。僕はありがとうございましたと言って機内を後にした。空港のターミナルでは航空会社の係りのヒトが宮城へ来てくれてありがとうと何度も頭を下げていた。みんな涙をぬぐいながら声を張り上げている。たかだか数週間でこの人達とそれ以外の沢山のヒトが力を合わせて飛行機を飛べる状態にしたんだと思うと胸が熱くなった。そしてただ彼等にこうべを垂れて空港を出た。空港の外のターミナルでは兄が待っていてくれていた。
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