その瞬間、会社で同僚と立ち話をしていた。
「あれ?地震じゃない?」同僚が言った。少しずつ揺れが強くなっていった。そして普通に立っているのが難しいほどの揺れに変わっていった。オフィスで立っていたのは僕たち2人だけ。グラグラ揺れて棚の扉が勝手に開いたり、棚の上のモノが落ちてきたりした。僕は落ちそうになっていたホワイトボードを支えに行った。揺れはどんどん強くなる。「壁際は危ないから中央にいな。」何人かが僕に声をかけた。僕はフラフラしながらオフィスの中央へ移動した。少しすると揺れが収まった。みんな一時恐怖から開放された。冷や汗が流れてた。外を見ると何人かの人が建物の外へ出ているのが見えた。「震度いくつかな?netで見てみるよ。」営業部長がPCを叩き始めた。僕たちは落ちたものを片付けたり、「恐かったねー」とか「死ぬかと思ったー」とか話していた。「震源地宮城だって???tkc君実家に電話しな!!!」営業部長が言った。僕はポカンとしてしまった。隣に居た先輩が「電話してきな」と言った。僕は1階にある喫煙スペースへ行って電話する事にした。エレベーターは動かなかった。4Fから階段で降りていった。下では何人かの人が地震の事を話していた。僕はタバコに火を点けながら実家に電話した。繋がらない。仕事用の別の携帯でも電話した。繋がらない。実家の番号も母の携帯も、兄の携帯も、義姉の携帯もツーツーって音か、"この方面の・・・"のアナウンスが流れるだけ。少しすると奥さんからメールが来た。安否確認のメールだったので大丈夫とメールを返した。母にもメールをする事にした。メールを打ち始めるとまた地面が揺れ始めた。隣のビルがゼリーみたいに動いている。電信柱もグネグネいって電線は鞭の様にしなっている。喫煙スペースの近くに停まっている車は中で誰かが激しく動いているみたいに揺れている。近くでタバコを吸っていた初老の男性は床にうずくまった。僕と同じ様に携帯をいじっていた女性は頭を抱えて悲鳴をあげている。僕はどうする事も出来ずに携帯を握って立っているだけだった。揺れが収まって周りの人と声を掛け合ってからオフィスへ戻る事にした。途中でもう一度電話をしようとしても繋がらなかった。奥さんへ電話してもやはり繋がらなかった。階段を上がっている途中で他の会社の人も含めみんな外に出てきた。うちの会社の人も出てきた。「tkcも荷物取って下に降りて」すれ違う時に営業部長が言ってくれた。オフィスには向かいの席の先輩とディレクターの2人が残っていた。僕は荷物をまとめつつ実家へ会社の電話からも実家へ電話した。でも繋がらない。僕たちも荷物をまとめて建物の外へと避難した。殆どの会社の人が外へ出ているようだった。周りのオフィスビルからも同じ様に外に避難していた。通勤時やお昼時よりも沢山の人がビルの周りにいた。時折来る余震を一塊になって耐えた。一時間か少し外にいてオフィスに戻った。"震度7宮城 津波に注意"誰かがTVを付けた。見慣れた名取の文字の横に中継と出ている。田園を走るコンクリートの道に車が何台か徐行している。画面のふちから波が押し寄せてくる。テーブルの上でグラスを倒した時にグラスの中の飲み物がテーブルの上を流れる様に波が地面を埋めている。田んぼもコンクリートの道もそして車も全てを飲み込んでいく。「早く逃げろ」「なんて事だ」みんな画面に叫び声を上げる。会社の電話も繋がらず、仕事に集中する事も出来ず、16時で解散になった。その間も何度も実家への電話を試みた。しかし繋がらなかった。僕は自転車で通勤しているので18時まで会社に残った。電車が止まっているので遠方の社員は帰れずに会社に残っていた。止まりになるかもしれないので買出しや水の確保を手伝った。そうこうしている内に母から要約無事を知らせるメールが来た。一安心だった。奥さんからもメールが来て大門にあるお義父さんのお寿司屋さんと連絡が取れないと言う内容だった。僕は会社を出て大門方面へと歩いて向かった。電車が止まっているので、15号沿いの歩道にはお祭りの日みたいに沢山人が歩いていた。道路も車が沢山並んでいた。車はのろのろ運転だし、歩道は沢山人が歩いていてぶつかったり思い通り歩けない状況だった。それでもクラクションの音も誰かと誰かのいざこざも無かった。体が触れると「すみません」と声を掛け合ったり、道を譲り合ったりしていた。殆どの人が疲れてて心細い筈なのに。お義父さんのお店に着いた。お店の明かりが灯っていたので無事なんだって思った。裏口から入ってみるとお客さんが何組か入っていた。お義父さんもお義母さん普段通り働いていた。僕は安心して店を後にした。奥さんへ電話しても繋がらなかったのでレオが待っている奥さんの実家のある麻布十番へ向かった。十番へ向かう道も同じ様に人が沢山歩いていたし、車が渋滞していた。やはりみな黙々と歩み、進んでいた。奥さんの実家に着くと奥さんもレオも既に実家を後にした後だった。僕も実家を後に家へと歩いた。家に着いて奥さんとレオの顔を見た時は凄く安心した。夜遅くに兄の携帯から電話が入った。母も兄も姉も全員無事だった。家の近くにも津波が来て車では入れないから途中に車を置いて兄は家へ着いた。姉は職場で車が流されまだ波が引かないので一晩は職場に泊まる事になった。母は激しい揺れを感じて少し広めの上にモノが何も無いトイレで難を逃れた。この時点では水道とガスがまだ生きていた。しかし、電気は止まっていた。大きな余震が何度も続いているとの事だった。兄と母の声を聞けて僕も奥さんも凄く安心した。TVではどのチャンネルも全て地震に付いての報道番組を繰り返していた。中々寝付けなかったけど早めにベットに入った。まだこの地震と津波の全貌が見えていなかった。
とは言えレオは元気で凄く凄く癒された。写真の帽子は仙台の実家近くのカインズホームで買ったものです。


