言葉なんかでえへん。 ~相馬市原釜地区 松川浦~ | 蒼月の【Tokyoびより】

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2/9からの3連休。


いまさらですが。



またちょっとひとり旅行って来たんですがね。




宇都宮で普段食事に行けない会社の同僚面々と夜宴をした翌日、福島県の相馬市へ行って来ました。


今年TVでメジャーリーガーの上原浩治投手が震災地を訪問みたいな番組やっていて、まだ全然復興しない震災地を見て「言葉なんかでえへん。見てない人は見なアカンと思う。」と言っていたのに、その真剣な目つきに自分もその「見てない人間」だなと思い行こうと決めました。



相馬市へは東京から東北新幹線を使うなら、福島駅からの路線バスが便利でした。

片道1000円で約1時間半ほど。

それでも電車で迂回して行くよりはずっと早いです。



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相馬駅。





荷物をこの日宿泊するホテルへ預かってもらい、腹ごしらえをして海沿いの相馬港・松川浦へ。



ところがこういうところのバスは本当に本数が少なくて。。。。。


1時間以上ある時間を外のベンチで読書というには寒過ぎます。



そこで、唯一入って時間が潰せそうなパチンコ屋さんへ。


“入場料”に2、3000円やって、あとは休憩所で本でも読もうと座ったら。



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フィーバーしちゃいましたあせる


AKBってすごいね(笑)ウサギ


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おれはいったい何しに来たんだか↓





やっと来たバスで20分程度。



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海辺はさら地や新しい建物・塀、それに壊れた船や看板など残骸が目につきました。



この日は(この日もなのかわかりませんが)ひどく風が強く、海の波もなにか恐く感じました。

港にはかなりの数の船が着岸していました。



ぐるっと海辺を歩きながら、津波の爪痕を見ていくと、当時どんなに凄いことになっていたのかなんとなく感じ取れました。



相馬港、原釜地区の方へと歩いていくと、トンカントンカン♪と工事をしている音が聞こえました。

新しく作り始めた大きめの建物があるかと思えば、そこから数十メートル歩いたところにはまだただ建っているだけで、ガラスも壁も内装もめちゃめちゃになっている2階建てぐらいの建物もあります。


そして至るところがさら地になっています。

道路には場所によっては亀裂も見られたり(これは相馬市駅前の歩道にも感じ取れました)。


僕にはこのとき、どのあたりにじつは当時建物があって、どこがもともとさら地だったのかなんて想像も出来ませんでしたが。。。。。。






カラダが凍えるように冷えてしまったので、バス停前にあった手づくりの湯 栄荘さんという温泉旅館で日帰り湯をもらいました。

露天風呂もほどよく熱く湯質も僕は気持ちよいと感じる湯でした。

なによりカラダが本当に生き返る思いでした。


相馬市内へ帰るバスの時間はチェックしておきましたので、それまではここであと少しゆっくりさせて頂きます。


マッサージチェアに座っていたら、なんだかウトウトしてしまいました(笑)





帰る時間。

外に出るとすぐ郵便局がありましたが、プレハブでした。


待っている間の数分で、あっという間にさきほどまで蓄えたはずの体温を奪われます。

たった数分が何十分に感じます。

そのぐらい寒く感じました。





相馬市内へ帰りホテルへチェックイン。

もう一度シャワーを浴びてカラダを温め、食事に出る前に少し休憩。





さきほど見た相馬港のことを思い返していました。


ふと、YouTubeを検索してみました。



「3月11日東日本大震災の津波 相馬市原釜地区 TUNAMI(1) 」という動画がありました。




ただただ言葉になりませんでした。


さっき数時間前に歩いていた場所が、道路が、すべて海の底です。


濁流に飲み込まれていたのは、さっきみていたあのめちゃくちゃになっていた建物。

さっきは見ていない無かった建物。

電線、信号機、木々。



全てが飲み込まれていました。




なんだか涙も出ないというか、ただただ茫然としてしまいました。


こんなことあっていいんでしょうか。



この動画の撮影者の方達も最初は「大丈夫だろうなあ」とか言って少し笑い声も聞こえるくらいです。

それが数分であんな風景に変わってしまうなんて。



自分でさっき歩いた場所だから、なんだか得も知れぬ恐怖感が襲ってきて少し吐き気もしました。




自分になにができるかと思っても結局お金を使うことぐらいしか考えられないし、正直「東京でよかった」と感じる情けない自分もいるんです。


震災時延々と東京を6時間とか歩きましたが、それで痛みはだいたい終わりです。

阪神大震災のことも若い時に映像で見ましたし、広島や長崎の原爆のことも聞いてきましたが、いつもどこか他人事です。


でもほんの少しだけ、自分で“それ”を見たから、なにか痛みが少しだけわかりました。


「苦しいでしょう、わかりますよ、がんばってください」なんて口が裂けても言えませんよ。


自分に言う資格なんてないです。



ただこのやるせなさと僅かな貢献への満足感で、自分に出来る範囲の復興支援をしていくしかないと思いました。








夜、ホテル近くの焼肉屋さんへ入りました。


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すごい厚切りばかり(  ゚ ▽ ゚ ;)

しかも安い!\(゜□゜)/



奥では地元の方達がワイワイやっていて、お店をやってるじーさまとばあさまがご自分たちのペースでゆっくりと営んでいました。


味も本当に美味しかった。


ひとりで旅しに来たと言うと、自分で漬けた白菜やら牛筋の煮込みやらを少しづつオマケしてくれて。


寒いだろうとストーブをすぐそばに持ってきてくれて。



「震災大変でしたか?」なんてもう言えなくなっていました。

振り返れば、みなさん普通に生活されているんですよね。

本当に普通にただ生活されているだけです。


なにか被害者を憐れむような発想をどこかでしていた自分にここでも恥りました。


「美味しいですね。このハツ。こんな厚さのハツ食べたの初めてでした。本当に美味しいです。」


「ありがとう。(^_^)」



そんな普通の会話をして店を出ました。




以上です。



だから何ですとか、悟りを開くとかはないです。


なにも言えません。



言葉にできない感じたままのことを感じたまま生活していこうと感じました。





「言葉なんかでえへん。見てない人は見なアカンと思う。」





あの時上原浩治という人がなにを感じてそう言ったのか、今はたぶんわかると思います。




三日月