日々活動を続ける中で「なぜ勝井くんは政治家になろうと思ったの」と尋ねていただくことがあります。
政治家になろうと思った最初のきっかけは怒りからでした。
議会での質問や答弁を見ていてとてもまちの未来のことを考えて政治が機能していると思えなかったのです。そこにあった政治は、地方自治には程遠い住民への説明責任を果たしていない政治でした。
怒りだけで政治家を目指しその当時勤めていた会社を退職し、東京で議員の秘書になりました。とにかく選挙に勝つことを学びたかった私は、がむしゃらに選挙の現場に立ち続けました。国政選挙から市議会議員選挙まで飛び回り続けて選挙というものがどういうものなのかを体験しました。
同時に政策調査について、当局との交渉についてなど政治家として日々行わなければならない活動の体験もしました。
一方で政治家というよりも名誉職として行わなければならないことが膨大にあることや、政治家の意思決定は選挙を意識したものにどうしてもなってしまうために市民の側に立ち続けて活動をしていくことが、いかに難しいかということも見てきました。
そうして3年間の修行を終えて4年前に地元に戻ってきました。
政治への怒りは変わらないままでした。
怒りだけで動く私への風当たりは想像を超えるものでした。
ただただ正論を振りかざし情け容赦なく相手に襲いかかるスタイルは今から思えば政治家の姿ではなかったと思っています。
選挙や議員活動には詳しくても、肝心の宇陀市の未来の姿を持っていなかったのかもしれません。なによりも宇陀市と私の中に信頼関係が築ききれていませんでした。
一度矛を収めもう一度地域の政治の姿を考えることにしました。
また、多くの方から声をかけていただいて、地域の中で活動を行うようになりました。地域の中に宇陀市や地元を何とかしたいと思っている方々がたくさんいることを知りました。4年間の浪人生活は私を大きく成長させてくれました。
改めて挑戦することを決意し、今思うことは、「政治家としてこの町の方々の力を信じること。権力を一部の方に集中させるのではなく意識ある方々に解放をすること。地域の自治の確立に全力を傾けること。対話によってのみ道は拓けるということ。」
ただただ、これをやると白紙委任を求める政治から、徹底的な説明と徹底的な対話をする政治へ。この流れを作ることができるのは、現状のしがらみに縛られない新しい政治家です。
対話を重ねる政治。議会と市役所の中に根付かせるまで闘い続けます。
政治家になろうと思った最初のきっかけは怒りからでした。
議会での質問や答弁を見ていてとてもまちの未来のことを考えて政治が機能していると思えなかったのです。そこにあった政治は、地方自治には程遠い住民への説明責任を果たしていない政治でした。
怒りだけで政治家を目指しその当時勤めていた会社を退職し、東京で議員の秘書になりました。とにかく選挙に勝つことを学びたかった私は、がむしゃらに選挙の現場に立ち続けました。国政選挙から市議会議員選挙まで飛び回り続けて選挙というものがどういうものなのかを体験しました。
同時に政策調査について、当局との交渉についてなど政治家として日々行わなければならない活動の体験もしました。
一方で政治家というよりも名誉職として行わなければならないことが膨大にあることや、政治家の意思決定は選挙を意識したものにどうしてもなってしまうために市民の側に立ち続けて活動をしていくことが、いかに難しいかということも見てきました。
そうして3年間の修行を終えて4年前に地元に戻ってきました。
政治への怒りは変わらないままでした。
怒りだけで動く私への風当たりは想像を超えるものでした。
ただただ正論を振りかざし情け容赦なく相手に襲いかかるスタイルは今から思えば政治家の姿ではなかったと思っています。
選挙や議員活動には詳しくても、肝心の宇陀市の未来の姿を持っていなかったのかもしれません。なによりも宇陀市と私の中に信頼関係が築ききれていませんでした。
一度矛を収めもう一度地域の政治の姿を考えることにしました。
また、多くの方から声をかけていただいて、地域の中で活動を行うようになりました。地域の中に宇陀市や地元を何とかしたいと思っている方々がたくさんいることを知りました。4年間の浪人生活は私を大きく成長させてくれました。
改めて挑戦することを決意し、今思うことは、「政治家としてこの町の方々の力を信じること。権力を一部の方に集中させるのではなく意識ある方々に解放をすること。地域の自治の確立に全力を傾けること。対話によってのみ道は拓けるということ。」
ただただ、これをやると白紙委任を求める政治から、徹底的な説明と徹底的な対話をする政治へ。この流れを作ることができるのは、現状のしがらみに縛られない新しい政治家です。
対話を重ねる政治。議会と市役所の中に根付かせるまで闘い続けます。