8月10&11日の週末にNVC基礎コース(入門編)を受講し、そこで考えたことや自分で感じていることなどがカチッとハマった感じがあるので書いてみます。
(ちょっとうまく説明できてないけど、とりあえず載せます。久々に長くなった💦)
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子どもが地団駄を踏んで暴れるのと
思春期の子どもが暴れるのは
「それじゃダメなのよ」と言われて暴れているという意味では同じで、
そして
暴れている子どもも
それをみて自分の子育てがうまくいってないんじゃないかと思う親も
同じニーズを持っている。
それは、「全受容💗」。
しかも、お互いに相手も自分も受容できていない。
これじゃあダメだと思っているけど、その不快さはわかっているけど、
何をどうしたらいいのか、が見つかっていない。
そして、地団駄を踏んだり暴れたりしなければ、
うつのように気力がなくなるんじゃないか、
って思った。
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子ども(誰でも)は自分のやりたいことをやりたい方法でやりたい
親は自分がよいと思っている方法でやってほしい
これが、どちらもお互いのやり方を認められないから、
子どもは暴れ、親は今まで通りでは何も変わらないことをうすうす感じながらも、
もっとちゃんとしつけようと空回りしていく。
たまたま会った人が、
「私は15歳の娘に、危なくないことであれば
『やらしてあげていた』のに、
どんどんエスカレートしていって、
いまでは手を付けられないから、
家庭内で最低守って欲しいルールもあるし、
規則が増えていく。
それを娘は『自由がほしい』といって
どんどん壊していく。
ちょっと優しくしてルールを緩めると
すぐにひどくなるから、手綱は締めておかないといけないし、
友達も悪い子ばかりで、本当に手を付けられない状態。
私が友達をみつくろってあてがうわけにもいかないし、
そもそも私が選んだ子を友人にするとも思えないし…」
と言っていました(だんだん論点がずれている…)。
そして本人が出したニーズは
「娘の安全。娘からの配慮」で、
娘さんのニーズは「自由だと思う」って言っていたんだけど、
な~んかしっくりこなかったんだよね。
しかも「15歳の子どもに友達あてがうって発想が非現実的だけど?!」と気が散ってしまったのもあって、わかってほしいって思っているんだなぁっていうのは感じたんだけどニーズは理解じゃないなぁ、なんだろう…とその場では彼女のニーズがでてこなかった。
それが、今朝お弁当作っていたら
「全受容じゃない?!
ってか、これ、ふたりともまず全受容がニーズなんじゃない?
その後に安全とか配慮が来るんじゃないかなぁ~(並列でもいいけど)」
と思ったのでした。
そうしたら、子どもの地団駄も、
おかあさんが「どうしてこうやらないの!?」
ってのも同じ全受容がニーズなのかも~、と思った。
思春期にはさらに、例えば私も中学くらいの頃、
母の言うことを適当にきいていたけれど、
いま娘がときどき私が問題回避のためにしたアドバイスを真に受けずに
なにかあってから
「あれは、単に言っているだけで本当にそうなるとは思わなかった」
って言うのと同じで、
「自分で体験したことしか信じない」時期なんだなぁ、というのも
この全受容って言葉が浮かんだら、いきなり腑に落ちて、
そりゃあ思春期の子どもは、やりたいようにやらないと暴れるよなぁ、と思った。
だって、「自分の方法を試す時期」っていうプログラムが体内に入っているんだから。
そして、「やりたいようにやらせてもらえない」
=
「あなたのやり方は間違っている、you are not good enough」
と言われていたら(そう言っていなくてもそういうメッセージを送っていたら)、
「そもそもじゃあ私がそれをやる意味あるの?」
「私じゃない誰かだったらよかったね」
と悲しくなるしやる気を失う(これでよくやる気なくなっているな私)。
悲しくなってやる気を失うんじゃなくて、
暴れている子は
「そうじゃない、このやり方でもいいんだ~~~!!!」
と言っているような気もするし、
「どうせ受け入れてもらえないんだったら、
いい子になろうと努力してもダメ出しされて受け入れてもらえないのは悲しいから、
悪いことをしよう。そうしたら悪いことをしてるから
受け入れてもらえないのは当たり前と思える」
とか、
「じゃあどこまでやったら本当に見捨てられるのか、
どこまで付き合ってくれるのか」
って試しているような気にもなってきた。
これは、だれも幸せじゃないなぁ、と思った。
なんかさ、
子どもは「八百屋さん方式で品物に値段をつけて売って、一つ売れたらいくらの売上」
でやろうとしているのに、
親は「弁護士方式で30分いくらで請求しなさい」
って言ってて、どっちも「その方法もあるねぇ」とはならない、っていうこととか、
そもそも子どもは八百屋さんなのに親は弁護士として扱おうとしている、
つまり、目の前の人をみていない、っていうことなのかなぁ、と思うと、
それはお互い辛いよなぁ、としみじみ思う。
(かなぁ、とか、よなぁ、といいつつ、私も現役の思春期母なので多分やってる、他人事じゃない😱)
ただ全受容して味方としてそばにいてほしいのに、
治そうとするときつくなるんだなぁ、と
先日本の表紙紹介をした「居るのはつらいよ」に書かれていた
「ケアとセラピー」についても考えていたら、
なんと、そのタイミングで来るか?!というくらいのタイムリーさで、
「レンタルなんもしない人」と
「居るのはつらいよ」の著者東畑さんの対談を
友人がシェアしていて、
読みながら今の思い込み回路を通すと
超シンクロしてる!!となったので、
その対談のリンクも貼ります。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66409
もろネタバレな私が拾ったキーワードや内容と、カッコ内は私のつぶやき(先に対談読んでください)。
「がんばってもなんにもできなくて」
(「なんにもできてない」のは、誰の視点から?
こう捉えると存在意義や自己肯定感なくなるな…でもよく起こってる)
「社会性がある=社会が求めているものに応える」
「会社員はトイレに行っている間にも報酬が発生している(一個売ってなんぼじゃない)」
「居るだけ=0むしろマイナス」
(「あかちゃんは居るだけでマイナスとはならない。
お世話もしてもらっているのに。
いつから「居るだけ=0または/むしろマイナス」になるんだろう…。
子どもには「居るだけ=プラス」と思って欲しい。あ、自分も思いたい)
「今のところ食えている」
(そもそもいくらあったらいいのか?必要な金額というのはない)
「なにもしなくてOK」
(期待ない。いるだけで嬉しい。だれもがソウイウヒトで
いいんじゃないか。いや、期待はほしいか??
うーむ…。ほしくない期待もあるな)
「隠れ家」
(家のルールは外と違っていい、家族内で決められる。
だけど、外のルールを入れがちだな。それに縛られるからよけいにややこしいのか)
「僕も癒やされる」
(人にすることは自分にもしている。
自分を全受容できれば他人もできるのだったな…)
「中動態」
(これも私の萌ワード。勝手に自分でルール作れる、解釈できる。
たとえば、KYは他の人が勝手に決めるものだとしたら自分の中には存在しない)
他にも本を読んで自明のことなど拾ってないこともあるけれど、味わいながら読んじゃった。
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そして、リスママで「まず受容」っていうのも、これなんだなぁ、と思った。
つまり、まず存在を受容して(中動態仕様)いないと、存在できないんですよ…、と思ったんです。
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何が言いたいかっていうと、人は全受容がないと存在しづらい。
存在しているのが辛くなる。
全受容は自分が自分を、
そしてできれば1人でもその時だけでもいいから味方が欲しい。
(「レンタルなんもしない人」みたいに知り合いじゃなくていい)
そして、治す(誰かの価値観)じゃなくて、
自分の価値観で「居る(居られる)」、
つまり目の前の人や自分をそのまま受け入れられると、
それだけで人は自分のことを赤ちゃんの頃と同じくらいに、
なにもしなくてもいる意味がある、と思えて、
けっこうなにもなくても心の平静があって
穏やかに幸せに暮らせるんじゃないかなぁ。
それが「全受容」って言葉が出てきた時に思ったこと。
そして、「全受容」がニーズだったのか!って思ったら、
でも、この「全受容」が難しいんだよね~、
特に近い人、子どもにはついやっちゃうよね~、
と上の発言をした人を受容できたのでした。
(これが出る前はジャッジにまみれてた。『やらせてあげた』って何様?!とか😅😅😅)