ほ~んの少しですがスピ系の話も入ってきますので、苦手な方はスルーしてください。

 

どこから始めたらよいのかわからないのですが、まずこの話を書こうと思ったきっかけから書きます。

 

最近、リスママリスナー養成講座やNVC(共感的コミュニケーション)を学んでいるのですが、その中でジャーナルを書く、というのを学びました。それから、リスママのスピンオフとして(私の中でスピンオフなんですが、主催しているタンジェリンラボからみたら、どちらも同等、とかだと思います)新月と満月のココロカフェというのがありまして、その中で「まなゆい」というのをすることが2度ほどありました。

 

で、私はこのジャーナルとまなゆいを合体させています。

 

どういうことかというと、まずジャーナルというのは、日記というよりもあるひとつの感情が動いた出来事について考察する、という感じです。どう考察するかというと、出来事を5つに分けます。この5つは、① 実際に起ったこと ② それをどう受け止めたか ③ その時の感情 ④ その感情を引き起こすことになった満たされた、または損なわれた(欠けた)ニーズ ⑤ ニーズが満たされた場合はそれを味わう、ニーズが欠けている場合はそれを満たすにはどうしたらよいかを考える(手段、リクエスト)、です。

 

嬉しかった、モヤモヤ、イライラ、悲しみなど感情が動いた出来事で味わいたい感情がある出来事や、解消したい感情がある出来事を、まず主観と客観を混ぜてざっと書き、それから上の5つに分けます。分ける時に、②と③まで書いたら、それを自分がどう受け止めているのかをさらに味わいます。その後、④、⑤に移ります。

 

ここまででも、自分の感情が出せるし、どうしたいか、どうしたかったのか、今後どうしたらよさそうか、というのがわかるのですっきりするのですが、頭の中で色々な思いが絡み合っていると、な~んだかスッキリしません。

 

そういう時にまなゆいを使います。

 

もう一度、①を書くか口に出して、その内容から頭に浮かんだことを書くか口に出して、とどんどん連想ゲームのように頭に浮かんだことを出していきます。そうすると、自分がなにに引っかかっていたのか、どこが嫌だったのか、なにが嬉しいポイントだったのか、などなどが明確になってきて、自分の感情、考え方、行動のクセや自分が何に敏感なのかがわかります。

 

で、これを今後に活かそう、というのが最近やっていることです。

 

例えば、私にとって1つ幼い頃の嫌な思い出があって、これを思い出すと本当にいや~な気持ちになるので、誰にも話したことがなかったんですが、あるとき、インナーチャイルドを癒やすというワークをやっている時に、どんどん過去にさかのぼっていって、一番古い記憶までたどる、というワークをしたんです(ほら、スピ系になってきた笑)。滝汗

 

その時に、この嫌な思い出を話し始めたら、いや~な気持ちが戻ってきて、涙が止まらなくなって、最後にはほとんどしゃくりあげていたんです。

 

その話というのを今から書きますが人によっては「はぁ~?そのくらいで?」だと思うだろうし、私もこれが他の人の話だったらピンとこないかも知れないので、気合を入れずに読んで下さい。キョロキョロ

 

7歳位の頃、母がキャベツを買い忘れたので、八百屋さんに買いに行って、と私に言いました。多分ほぼはじめての一人でのお使いで、嫌だったのですが、母は忙しかったのか、行ってほしいと言うので、行くことになりました。「100円でお釣りがくると思うからちゃんともらってきてね」と言われました。

 

八百屋さんについてキャベツを見つけて「これください」と言って八百屋のおじさんに100円を渡すと、「おねえちゃん、これ105円なんだけど、お金これしかないの?」と言われ、「お釣りがあるってお母さんは言ってた」と言うと困った顔をして、でも「じゃあ100円にまけとくよ」と言ってその野菜を売ってくれました。

 

家に帰って母に「105円だったけど、100円にしてくれたよ。お釣りはないって」とまけてもらえたことも嬉しくて誇らしげにその野菜を母に渡すと、母は「これ、キャベツじゃなくてレタスだよ。だから105円だったのよ。もう1回行って取り替えてもらって」と言われました。

 

ちゃんと買い物ができなかったショックと、せっかく負けてくれたおじさんに私が間違っていたことを知らせ、さらにお釣りを請求しないといけないことに、すごく抵抗があり、もう行きたくない、と母に言いましたが、母は子供の恥ずかしい気持ちは子供のささいな気持ちだと思ったのか、もともと母が行けないから行かされた、ということもあり、結局八百屋にもう一度行き、今度はおじさんではなくおばさんに「キャベツとレタスを間違えたから、これとキャベツを変えて下さい。さっき100円払ったので、お釣りも下さい」と言ってキャベツに取り替えてもらい、家に帰りました。この時、すでにもうキャベツが手に入り、お釣りも持っているのに、すごく足取りが重く、母の顔をみたくない気持ちでいっぱいになりました。笑い泣き

 

と、こういう記憶なんですが、この程度のことは、きっと子供の時にいろいろ経験していると思うのですが、これがはじめてのお使いで、うまくやり遂げられなかった挫折感と恥ずかしさ、能力のなさ、みたいなものが混ざってとても嫌な思い出として残っていました。

 

これをインナーチャイルドのワークの時に話した時、かなり泣いたにも関わらず、「子供の時の私はこんなことが嫌だったんだ」とまだ軽んじていました。でも、大人になった私は「こんなこと」と思っていたにもかかわらず、この話をした人に「キャベツの話」と言われただけでウルウルしていました。えーん

 

これが、かれこれ8年くらい前の話で、そのまま「キャベツの話」と言われなければ忘れている毎日だったのですが、ジャーナル+まなゆいを始めてから、なにか書くことないかなぁ~~と思っていたらいきなり思い出したので、書いてみようと思いました。照れ

 

で、書いたら、なんで嫌だったのかがわかって、びっくりしました。

 

この話の中で私が嫌だったのは、

① 母(断れない相手)が「有無を言わせず」「無理やり」私を買い物に行かせた。

② 失敗したことへの癒やしはなく、「容赦なく交換に『行かされた』」。

③ 母が買い物に行けないくらい忙しくて大変だと思ったから善意で言ったのに、最初に間違ったものをかったせいもあり、感謝の言葉は全く覚えていない、つまり私にとってはなおざりなものであった。

④ その間、2歳半下の妹は家にいて幸せに暮らしていた。同じ年頃の子供なのに。「おねえちゃんなんだからできるでしょ」というのはいくつになっても「おねえちゃんだから当たり前」で、多分妹は7歳とかで一人でお買い物させられていないだろうなぁ、という今振り返って思う気持ち。

なんですが、どれもこれも事実じゃないんですよ!というか、私がそう考えた、と言うだけ。

 

でもね、ここに今の人間関係でも嫌だと思うポイントがすっかり重なっていて、このキャベツの話で嫌だと思っている気持ちが似たシチュエーションだとでてきて、ますます嫌になるんだなぁ~~~、ということがわかりました。

 

つまり、私がしなくてもいいことなのにやれるからと頼まれて、断っても頼まれること。ここまででも十分嫌なのに、さらに、それが上手く行かないともう最悪です。落ち込むし、頼んだ相手のことも嫌になるし、断りきらなかった自分も嫌になるし。嫌だらけ。

 

なので、嫌なことは断り続けよう、ととりあえず思っているところです。

 

例えば歯の矯正(いきなり?!笑)は、右にガッと動かして、次に左にガッと動かして、それから整える、と聞いたのですが、私もとりあえず、断る練習も兼ねて少しでも嫌なことは嫌といい、次にちょっとやってみてダメだと思ったら途中でも断り、自分が大丈夫だと思える、快適な地点(整っているポイント)を見つけよう、と思いました。

 

とはいえ、昨日も同じようなことがあって、相手の状況を考えると断れなくてやったら勘違いがあって失敗で、気付いても実際やれるかどうかは、まだまだ修行中、という感じです。

 

そうそう、またスピ系ですが、スピの世界ではあることに気づくと「おためし」と言うものが来て、本当に身についているか、納得しているか、理解しているかというのを試す出来事があるらしいのですが、まさに昨日のことは「おためし」で、うまくいかなかったので、これからまだ「おためし」が来ることでしょう…。

 

と書いておきながらなんですが、感情が大きく動くことは「お、来た!まただ」と気づくけど、自分にとってどうでもいいことは、スルーしているだけなので、「おためし」って言っても普通に起こっていることなんじゃないかなぁ、とも思っています。だから、私が平気でやっていることが他の人にとっては「おためし」だったり。ただ、「おためし」だと思ってちょっと気合を入れて意識を変えて行動を変えること自体は、自分や周りの快適さが増えるのであれば有効かな、と思うので名前をつけて意識して、気合を入れるという意味では「おためし」という言葉自体はアリかな、と思っています。