60歳になって、はっきり分かったことがある。
人生って、思っていた以上に「ムダなことでできている」。
若い頃の僕は、ムダが嫌いだった。
正確に言えば、「ムダをやる余裕がなかった」。
成果を出さなきゃいけない。
評価されなきゃいけない。
遅れたら置いていかれる。
そんな空気の中で、ずっと走ってきた。
外資系企業で営業をして、マネジメントをして、数字と結果に追われて。
「意味があるか」「役に立つか」「将来につながるか」
そればかりを考えていた。
逆に言えば、
・意味のないこと
・役に立たないこと
・今すぐ成果に出ないこと
は、できるだけ避けてきた。
当時はそれが“正解”だと思っていた。
効率よく生きることが、賢い大人の生き方だと信じていた。
でも60歳になって、振り返ってみると、
心に残っている記憶って、ほとんど「ムダなこと」ばかりなんだ。
ムダな時間ほど、なぜか覚えている
成果を出した商談の細かい数字は、正直ほとんど覚えていない。
表彰された理由も、評価されたコメントも、あいまいだ。
でも、
・終電を逃して、同僚と朝まで飲んだ夜
・意味もなく始めて、三日坊主で終わった趣味
・失敗が恥ずかしくて、思い出すたびに苦笑いする出来事
・遠回りだらけで、結果が出なかった挑戦
こういうものは、不思議なくらい鮮明に残っている。
当時は「何やってるんだろう」と思っていたことが、
今では、人生の厚みになっている。
ムダだったからこそ、
うまくいかなかったからこそ、
そこに感情が残った。
効率よく処理された出来事は、
同じように効率よく忘れられていく。
人生は、履歴書では測れない
50代、60代になって、
「何をやってきた人か」より
「どんな人か」を見られる場面が増えてきた。
話が面白い人
一緒にいてラクな人
失敗談を笑って話せる人
余白を持っている人
こういう人たちに共通しているのは、
だいたい人生が“ムダだらけ”なことだ。
遠回りをしている。
失敗をしている。
回収できていない挑戦が山ほどある。
でも、だからこそ、
人の痛みが分かる。
自分を大きく見せない。
変に尖っていない。
履歴書に書けることより、
履歴書に書けない時間のほうが、
その人を作っている。
ムダを嫌うと、人生は薄くなる
若い頃の僕は、
「これは将来につながるか?」
「今やる意味はあるか?」
そんな問いを、無意識に自分に投げ続けていた。
その結果、
・やりたいけど役に立たなそうなこと
・興味はあるけど成果が見えないこと
・失敗しそうなこと
を、どんどん切り捨ててきた。
確かに、無駄は減った。
でも同時に、
ワクワクも、余白も、遊びも、削られていった。
ムダを排除すると、
人生は整うけど、味がなくなる。
白いご飯に、栄養だけを計算したサプリをかけて食べている感じだ。
生きてはいるけど、楽しんではいない。
60歳からは、ムダを取り戻す時間
60歳になって、
ようやく分かった。
人生は、ムダをやるためにある。
正確に言えば、
「ムダに見えること」をやる余裕ができて、
やっと人生を味わえる。
走る必要はもうない。
比べる相手もいない。
証明することも、ほとんどない。
だからこそ、
・意味があるか分からないこと
・役に立つか分からないこと
・誰に評価されるか分からないこと
を、堂々とやればいい。
ムダは、今すぐリターンをくれない。
でも、確実に人を柔らかくする。
ムダは、人を丸くする
ムダな挑戦をした人は、
他人の挑戦を笑わない。
ムダな失敗をした人は、
他人の失敗に優しくなれる。
ムダな時間を過ごした人は、
焦っている人を見ても、少し余裕でいられる。
効率だけを追い求めてきた人ほど、
歳を重ねたとき、心がカチカチになる。
ムダは、
人生の“クッション材”みたいなものだ。
最後に残るのは、ムダ話だけ
人生の終盤に、
「あの時の売上が…」
「あのプロジェクトのROIが…」
そんな話をする人はいない。
残るのは、
くだらない話
失敗談
笑える黒歴史
意味不明な挑戦
つまり、ムダ話だ。
だから、今からでも遅くない。
ムダなことをやろう。
意味がなくてもいい。
結果が出なくてもいい。
誰にも褒められなくてもいい。
ムダは、人生の敵じゃない。
人生そのものだ。
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