僕は今大学2年生で、
法学部なんだけど倫理学の授業も取っていて
その授業を受けいていて思ったことがあったのでここに書く。
今、その授業で何をやっているのかというと
「人は本当に自由なのか?」
について勉強している最中。
もしかするとそれを聞いて
「え~?自由に決まっているじゃん!」
「私は自分の意志で動いているんだ!」
って思う人がいるかもしれないんだけど、
そうじゃない考え方が沢山あることを最近知った。
例えば、
あらゆる現象は全て神や先行する原因等によって完全に決定されているという考えだったり
人間は機械と同じでプログラミングされた通りに行動しているに過ぎないという考えだったり
人が何かを意志するのはただの生理現象で、自律性なんてないという考えだったり
人は環境や遺伝子の影響を大いに受けているという考えだったり、、、。
とにかく、人間は自由じゃないんだ!っていう考えが多い。
そう考えると、今こうして文章を書いているのも、
実は、何かに操られてそうしているだけなのかもしれないし、
ひいては、自分の人生すらも実はあらかじめ決まっているのかもしれない。
だから、自分の行動や意志は空虚なものだと思わざるをえなくなる。
例え自分のやりたいようにやったとしても、どうせ何も変わらないかもしれないしね。
そんな感じで、倫理を勉強すればするほど絶望的というか空虚な気持ちになっていったんだけど、
あることに気がついたおかげでそれがなくなった。
確かに、自分は何かに縛られて生きているのかもしれない。
そして、その事に対して、虚しいなと思っていた。
しかし、よくよく考えてみたら、
何かに縛られて生きる=虚しい
って考えていたのは、、、
自分やん(´・ω・`)
授業ではあくまで、そういう考え方があると学んだだけで、
自分が勝手に「それは虚しい、絶望的。」と感じていただけやん。
そう、つまり、
自分が勝手に悪いように捉えていただけ。
その事実に気がついたのだ。
自分の人生が決定されているからってだからどうした。
もしかしたら、いい感じに決定されているかもしれない。
縛られているからって、だからどうした。
それでも勝手に楽しいと思ったり自由だと思うことは自由なはず。
だから、
例え何らかの事実や考え方があったとしても
それに対してどう思うのかは自分次第なんだなと思った。
周りの人がどう思うかよりも自分がどう思うかの方がある意味大事。
例え、周りの人が「これは酷い!」って思うような目に遭ったとしても
そのことを良い風に捉えることは、可能かもしれない。
自分が、自分の世界を創っている。
ある意味自分は最強の存在。
自分次第で、生きるのが嫌になるほど、醜く世界が見えることもあるだろうし
素晴らしいくらいに、世界が良く見えることもあると思う。