Prologue:月の涙と桃の子


月が地球を見つめる夜、人は星に願いを託す。

だがその夜、願ったのは月のほうだった。


静かな夜だった。

2040年、秋。東京郊外の空は、人工光とドローンの飛行ルートが交差し、まるで星座の記号のように瞬いていた。




桃谷太陽は、白い息を吐きながら、実家の庭先に立っていた。

久しぶりに帰ったその場所には、懐かしい風と、ひとつの不思議があった。


それは、地面に埋もれていた“桃”のような形のカプセル。

祖父が亡くなる直前、奇妙な言葉を遺したのを思い出す。


「太陽、お前が28歳になったとき、月は再び地球に触れる。

そのとき、お前の運命が動き出す。桃を探せ。」


最初はただの寓話かと思っていた。

けれど今、その桃型カプセルは、まるで生き物のように微かに鼓動を打っていた。


太陽が手を伸ばすと、不意に頭上で“何か”が動いた。

夜空に、ひと筋の光。だがそれは流星ではなかった。

月の軌道上に設置されたはずのAI観測衛星“TSUKUYOMI”が、軌道を逸れ、地球に向けて信号を発していた。


「――受信中。対象認識:桃谷 太陽。遺伝子一致。記憶起動準備完了。」


電子音。カプセルが割れ、光の粒が空に舞い上がる。


その中心に、少女がいた。


長い黒髪、真珠のように透き通った肌。

目を開けると、彼女は真っすぐ太陽を見つめ、言った。



「私は、カグヤ。あなたに会うために、月から来た。」


その瞬間、太陽の心の奥で、何かが静かに崩れていくのを感じた。

孤独も、痛みも、過去の記憶も。


月の姫と、桃の子孫。

決して交わるはずのなかったふたりの運命が、この地球で交差した。


そして物語は始まる。

それは、愛の記憶か、未来への希望か――


それとも、再び訪れる別れの序章か。