多世界解釈のバリアント(相対状態解釈など)
多世界解釈(MWI)は、ヒュー・エヴェレット3世による独創的な提案から発展し、その核心的なアイデアを維持しつつも、様々な研究者によって解釈のニュアンスや強調点が異なるバリアント(変種)や、密接に関連する理論的枠組みが提唱されてきました。
1. ヒュー・エヴェレット3世の「相対状態形式」 (Relative State Formulation)
多世界解釈の起源は、1957年にヒュー・エヴェレット3世が博士論文で提唱した「相対状態形式」にあります。彼の主な目的は、量子力学の標準的な解釈における「波動関数の収縮」という、観測時に起こるとされる不連続で確率的な変化を、量子力学の決定論的な方程式(シュレーディンガー方程式)のみで記述することでした。
エヴェレットの中心的なアイデアは「相対状態」という概念です。これは、複合系(例えば、観測者と測定対象からなる系)全体を記述する一つの普遍的な波動関数を考えたとき、もし部分系A(例:観測者)がある特定の状態にあるならば、それに対して部分系B(例:測定対象)の状態は一意的に(相対的に)定まる、というものです。
例えば、スピン測定で観測者が「上向き」を記録した状態と、測定対象のスピンが「上向き」である状態が相関し、同様に観測者が「下向き」を記録した状態とスピンが「下向き」である状態が相関するという重ね合わせ状態が生じた場合、観測者が「上向きを記録した」という観点から見れば、対象のスピンは「上向き」として相対的に確定します。
エヴェレット自身は、必ずしもこれらの「相対状態」の各々が物理的に分岐し、独立して実在する「世界」であると強く主張したわけではなく、むしろ観測プロセスを含む全ての物理プロセスを量子力学の枠内で一貫して記述するための数学的な定式化とその論理的帰結に焦点を当てていたと解釈されています。
2. ブライス・ドウィットによる「多世界解釈 (MWI)」
エヴェレットの「相対状態形式」をより存在論的に踏み込んで解釈し、「多世界解釈 (Many-Worlds Interpretation, MWI)」という名称を与えて物理学界に広めたのが、ブライス・ドウィットです。
ドウィットは、エヴェレットの定式化における異なる「相対状態の分岐(ブランチ)」のそれぞれが、物理的に実在する独立した「世界」であると解釈しました。つまり、量子的な測定や相互作用のたびに、宇宙は可能性のある全ての結果が実現する並行世界へと文字通り分岐していくと考えたのです。この解釈により、波動関数の収縮は完全に不要となり、宇宙全体の進化は常にシュレーディンガー方程式に従うとされます。これが、今日一般的に「多世界解釈」として知られるイメージの基礎となりました。
3. 現代の標準的な多世界解釈の主要な論者とその強調点
現代においても、多くの物理学者がMWIを支持し、その含意や課題について研究を進めています。
- デイヴィッド・ドイッチュ (David Deutsch): 量子計算の分野のパイオニアの一人であり、MWIの強力な支持者です。彼は、量子コンピュータが古典コンピュータでは実現不可能な速度で計算を行えるのは、並行宇宙に存在する多数のコンピュータが同時に計算を実行しているためであると説明します。ドイッチュは、MWIにおける「世界」の物理的実在性を強く主張し、それが量子現象の理解にとって不可欠であると考えています。
- ショーン・キャロル (Sean Carroll): 宇宙物理学者であり、MWIの現代的な擁護者の一人です。彼は、デコヒーレンスの役割を重視し、MWIが量子力学の基礎方程式(シュレーディンガー方程式)を最も素直に受け入れた結果であり、論理的に最も整合的であると主張します。また、量子宇宙論の文脈でMWIが自然な枠組みを提供すると考えています。
4. メニーマインズ解釈 (Many-Minds Interpretation)
メニーマインズ解釈は、H. ディーター・ツェーによって1970年代に初期のアイデアが提示され、その後デイヴィッド・アルバートやマイケル・ロックウッドらによって発展させられた、MWIの一つの特異なバリアントです。
この解釈では、物理的な「世界」そのものが分岐するのではなく、個々の観測者の「精神(mind)」あるいは意識が分岐すると考えます。量子測定が起こると、観測者の精神は、可能なそれぞれの測定結果に対応する複数の状態へと分岐し、各々の精神はその特定の経験の系列を辿ります。
- 物理的な宇宙は一つ(あるいは普遍的な波動関数によって記述される単一の物理的実在)であり続けるが、それと相互作用する精神が無数に存在するか、あるいは一つの精神が無数の分岐した意識状態を持つことになります。
- これにより、なぜ個々の観測者は常に確定した一つの結果しか経験しないのか、という問題や、基底選択問題(どの「ものさし」で世界が分岐して見えるのか)に、意識の性質を通じてアプローチしようとします。
メニーマインズ解釈は、MWIの基本的な枠組み(波動関数の非収縮)を共有しつつ、分岐の主体を物理的世界から個々の精神へと移すことで、主観的経験の問題により直接的に取り組もうとする試みと言えます。
5. 量子ダーウィニズム (Quantum Darwinism) との関連
量子ダーウィニズムは、ヴォイチェフ・ズーレックらによって提唱された理論で、MWIの直接的なバリアントというよりは、量子力学から古典的な客観性がいかにして生まれるかを説明しようとする枠組みですが、MWIと深いつながりを持つ可能性があります。
- 量子ダーウィニズムの中心的な考えは、量子系が環境と相互作用する際に、系の特定の情報(「指示計状態」と呼ばれる、安定で古典的に振る舞いやすい状態)が、環境の多数の独立した部分系に「複製」されて「記録」されるというものです。
- 多数の観測者が環境のこれらの断片にアクセスすることで、系の指示計状態について同じ情報を独立に得ることができ、これが我々の経験する「客観的な」古典的世界の出現につながるとされます。つまり、「最も適した(安定して複製されやすい)状態」が、ダーウィン的な選択のようにして生き残るのです。
- デコヒーレンスはこのプロセスにおいて中心的な役割を果たします。
- MWIの文脈では、量子ダーウィニズムは、なぜ無数に分岐する「世界」の中で、特定の「世界」(あるいはその中の特定の事実や状態)が多くの観測者にとって安定し、共有された客観的な現実として認識されるのかを説明するメカニズムとして機能する可能性があります。MWIにおける「世界の出現」や「古典性の出現」を補強する視点を提供すると期待されています。
結論
エヴェレットの独創的な「相対状態形式」は、ドウィットによってより存在論的な「多世界解釈」へと発展し、今日ではドイッチュやキャロルのような論者によってその現代的な意義が探求されています。さらに、メニーマインズ解釈のように意識の役割を問い直すバリアントや、量子ダーウィニズムのように客観性の出現メカニズムを通じてMWIの描像を補強しうる理論も登場しており、量子力学の解釈をめぐる議論は多角的に深められています。これらのバリアントや関連理論は、MWIの基本的なアイデア(波動関数の非収縮、決定論的進化)を共有しつつも、その哲学的含意や特定の問題点(確率、基底選択、主観的経験、客観性)に対して、それぞれ異なるアプローチや解答を試みています。
ブライス・ドウィット
ブライス・セリグマン・ドウィット(Bryce Seligman DeWitt、1923年1月8日 - 2004年9月23日)は、アメリカの理論物理学者であり、量子力学の解釈、量子重力理論、および場の量子論の分野で数多くの重要な貢献をしました。
多世界解釈(MWI)への貢献
ドウィットは、ヒュー・エヴェレット3世が1957年に提唱した量子力学の「相対状態形式」を物理学界に広め、発展させる上で極めて重要な役割を果たしました。
- 「多世界解釈」の命名と普及: エヴェレットの独創的なアイデアは当初、物理学界でほとんど注目されませんでしたが、ドウィットは1960年代後半から1970年代にかけて、この理論を強力に支持しました。彼は、エヴェレットの数学的に厳密だが解釈が難解とされた定式化を、より直感的で理解しやすい言葉で説明し、1970年に出版されたPhysics Todayの記事や、1973年に共編した書籍「The Many-Worlds Interpretation of Quantum Mechanics」などを通じて、「多世界解釈(Many-Worlds Interpretation, MWI)」というキャッチーな名称を与えて普及に努めました。
- 存在論的解釈の強調: ドウィットは、エヴェレットの理論における「相対状態の分岐」を、単なる数学的な記述や観測者間の相対的な記述に留めず、それぞれの分岐が物理的に実在する「世界」あるいは「宇宙」であるという、より強い存在論的な解釈を前面に押し出しました。彼によれば、量子測定のたびに宇宙は文字通り分岐し、可能な全ての歴史が並行して実現するとされます。この大胆な描像は、MWIを他の解釈と明確に区別する特徴となり、その後の議論の方向性を大きく左右しました。
- 観測問題への取り組み: ドウィットは、MWIが量子力学の「観測問題」に対する論理的に首尾一貫した解決策を提供すると主張しました。MWIでは、波動関数の収縮という不自然なプロセスを仮定する必要がなく、観測者自身も含む全宇宙がシュレーディンガー方程式に従って決定論的に進化すると考えます。
量子重力理論とホイーラー・ドウィット方程式
ドウィットの最も重要な業績の一つは、一般相対性理論と量子力学を統合しようとする量子重力理論の分野におけるものです。
- ホイーラー・ドウィット方程式: 1960年代に、ジョン・アーチボルド・ホイーラーと共に、宇宙全体の波動関数を記述しようとする「ホイーラー・ドウィット方程式」を定式化しました。この方程式は、量子宇宙論の基礎的な方程式と見なされており、「時間の問題」など量子重力における多くの難解な概念的課題を提起するものでもあります。この方程式は、宇宙の全エネルギーがゼロであることを示唆しており、時間を変数として含まないという特異な形をしています。
- 正準量子重力: 彼は、一般相対性理論を量子化するための正準量子化アプローチの発展に大きく貢献しました。これは、ハミルトニアン形式を用いて重力場を量子化しようとする試みです。
場の量子論への貢献
ドウィットはまた、場の量子論、特にゲージ理論の量子化においても重要な貢献をしました。
- 背景場方法 (Background Field Method): ゲージ理論の量子化において、背景場方法を系統的に発展させました。この方法は、量子場を古典的な背景場とその周りの量子ゆらぎに分離して扱うもので、ゲージ不変性を保ったまま計算を行う上で非常に強力な手法です。特に非可換ゲージ理論(ヤン=ミルズ理論など)の繰り込みにおいて有効性が示されています。
- 有効作用 (Effective Action): 量子補正を取り込んだ有効作用の概念の理解と計算手法の発展に貢献しました。
- ゴースト場: ゲージ理論の量子化において、共変的な量子化を行うために導入される「ゴースト場」(ファデーエフ・ポポフゴースト)の役割と必要性を明確にしました。
その他の業績と評価
- 数値相対論 (Numerical Relativity): 彼の学生であったラリー・スマールと共に、数値相対論という分野の創始者の一人とされています。これは、アインシュタイン方程式をコンピュータを用いて数値的に解き、ブラックホールの衝突や重力波の発生といった強重力場現象を研究する分野です。
- ドウィット記法 (DeWitt Notation): 場の量子論や一般相対性理論において、無数の添字を持つテンソルや場を簡潔に記述するためのコンパクトな記法(ドウィット記法)を導入しました。
ブライス・ドウィットは、その広範な知識と深い洞察力により、20世紀後半の理論物理学の多くの分野に多大な影響を与えました。特に、多世界解釈の強力な擁護者として、また量子重力理論のパイオニアとして、その名は物理学の歴史に刻まれています。彼の業績に対して、ディラック賞(1987年)、ポメランチュク賞(2002年)、アインシュタイン賞(2005年、死後受賞)など、多くの賞が贈られています。
ヴォイチェフ・ズーレック
ヴォイチェフ・フベルト・ズーレック(Wojciech Hubert Zurek)は、ポーランド系アメリカ人の理論物理学者であり、量子力学の基礎、情報物理学、非平衡統計力学の分野で国際的に高く評価されています。特に、量子系が古典的な振る舞いを示すようになるメカニズムとしての「デコヒーレンス」の理論と、客観的現実の出現を説明する「量子ダーウィニズム」の提唱者として広く知られています。
デコヒーレンス理論への貢献
ズーレックの最も重要な貢献の一つは、デコヒーレンス理論の発展とその意義の明確化です。デコヒーレンスとは、量子系がその周囲の環境との相互作用を通じて、量子的な干渉性(異なる可能性が重ね合わさり、互いに影響し合う性質)を急速に失うプロセスのことです。
- 量子から古典への移行: 彼は、デコヒーレンスが、ミクロな量子世界の奇妙な振る舞い(重ね合わせやエンタングルメントなど)が、我々が日常的に経験するマクロな古典的世界へと移行する際の鍵となるメカニズムであることを示しました。環境との相互作用により、量子系は特定の「指示計状態(pointer states)」と呼ばれる、環境の影響に対して比較的安定な状態へと急速に落ち着き、これらの状態の重ね合わせは実質的に観測不可能になります。これにより、あたかも波動関数が特定の一つの古典的な状態に「収縮」したかのように見える現象を説明します。
- 測定問題への示唆: デコヒーレンスは、量子力学における「測定問題」の完全な解決策ではありませんが、なぜ特定の測定結果が他の結果よりも選ばれて現れるように見えるのか、また、なぜ巨視的な物体は常に確定した状態にあるように見えるのかを理解する上で、非常に重要な洞察を与えました。ズーレックの研究は、観測装置も環境の一部として取り込むことで、測定プロセスをより現実的にモデル化する道を開きました。
- クローン禁止定理: ウィリアム・ウッターズと共に、未知の量子状態を完全に同一な複製することは不可能であるという「クローン禁止定理」を証明したことでも知られています。これは量子情報理論における基本的な結果の一つです。
量子ダーウィニズム (Quantum Darwinism)
デコヒーレンス理論をさらに発展させ、我々が経験する客観的な古典的世界がどのようにして量子的な基盤から生まれるのかを説明するために、ズーレックは「量子ダーウィニズム」という理論を提唱しました。
- 客観性の出現: この理論の中心的な考えは、量子系が環境と相互作用する際、系の特定の安定した状態(指示計状態)に関する情報が、環境の多数の独立した断片に「選択的に」そして「冗長に」複製・記録されるというものです。
- ダーウィン的プロセス: 環境は、系の様々な情報の中から、最も「頑健な」(デコヒーレンスに強く、複製されやすい)情報を「ダーウィン的な選択」のようにして選び出し、増幅します。
- 共有される現実: 多数の観測者が、環境の異なる部分にアクセスすることで、同じ指示計状態に関する情報を独立に得ることができます。このようにして、特定の状態に関する合意が多数の観測者の間で形成され、それが「客観的な」事実として認識されるようになると説明します。
- MWIとの関連: 量子ダーウィニズムは、多世界解釈(MWI)の直接的なバリアントではありませんが、MWIの枠組みの中で、なぜ特定の分岐した世界が我々にとって安定し、客観的に共有された現実として認識されるのかを説明するメカニズムとして解釈されることもあります。ボーアのコペンハーゲン解釈とエヴェレットの多世界描像の間の調和を試みるものとも評されています。
情報物理学 (Physics of Information)
ズーレックはまた、情報と物理学の接点を探求する「情報物理学」の分野でも重要な貢献をしています。
- マクスウェルの悪魔とランダウアーの原理: 彼は、マクスウェルの悪魔(熱力学第二法則を破るかのように見える思考実験上の存在)や、ランダウアーの原理(情報の消去には最低限必要なエネルギー散逸が伴うという原理)といった、情報処理と熱力学的コストの関係に関する研究を深めました。
- 複雑系とエントロピー: サンタフェ研究所の外部研究員としても活動し、複雑系、エントロピー、情報の物理学に関するネットワークを主導するなど、学際的な研究にも取り組みました。
経歴と評価
ヴォイチェフ・ズーレックは、ポーランドで教育を受けた後、アメリカのテキサス大学オースティン校で博士号を取得しました。その後、カリフォルニア工科大学でのポスドク研究を経て、長年にわたりロスアラモス国立研究所の理論部門で研究を行っています。
彼の業績は国際的に高く評価されており、アレクサンダー・フォン・フンボルト賞(2005年)、ポーランド物理学会のマリアン・スモルコフスキ・メダル(2009年、量子-古典遷移の研究に対して)、ロスアラモス国立研究所メダル(2014年)など、数多くの賞を受賞しています。また、ヤギェウォ大学(2019年)やAGH科学技術大学(2021年)から名誉博士号を授与されています。
ズーレックの研究は、量子力学の基礎的な問題に対する我々の理解を深める上で、非常に大きな影響を与え続けています。
参考資料
Google AI
量子力学