父が、50年余に亘り戦友若しくは盟友関係を深めてきた、血管外科の先生が亡くなった。幼少期から可愛がって頂き、私の結婚式にも参列いただいた。ワシントン旅行にご一緒したこともある。先生の想い出は尽きない。

 

先生は血管外科の第一人者として、多くの患者の命を救った後、ここ数十年は特養ホームでのご経験から、医学的治療に拘らずあるがままに最期の時を迎える「平穏死」という概念を提唱、その著書はベストセラーとなった。

 

亡くなる2,3日前は譫妄状態で、「うるさい、今、難しい手術をしているんだから話しかけるな」「ここのバイパスを、こう、繋げるんだ...」といったうわごとを言いながら、恐らくは夢の中でずっと手術をしておられたのだそうだ。

後半生は、外科医とは真逆の人生観とも思える「平穏死」を提唱しておられたが、今際の際には「平穏」などではなく、メスを振るって病巣と闘っていたのだ。先生にとっては外科医として難しい手術に挑んでいた頃が、人生で最も充実した青春期だったのだと思う。先生の最期はやっぱり、「外科医」だったのだ。

 

 

ふと、私は人生の最期、夢の中で何をしているのだろうかと考えた。それはもう当然、司法試験を受けているだろうと秒で思った。青春の全てを司法試験に捧げ、一点の後悔もない。現行制度になってから日本一司法試験に落ち続けたキャリアを活かし、今でも司法試験指導をしている時が一番楽しい。ちなみに今年の司法試験は、昨日7月14日に終わっている。

 

きっと私は、最期の時に、夢の中で、司法試験を受けながら逝くのだろう、…か?

 

image

 

先日、刑事裁判の弁護人として初の判決が出た。あらゆる意味で、私の大勝利だった。

 

新人には困難すぎる依頼人、困難な要求。私は人生で初めて正真正銘の「パニック障害」を発症した。

目を閉じれば私を睨み付けながら、アクリル板をコツコツ叩いて責め続けるその顔が離れない。一睡もできず、日中は動悸が止まらず、食欲もなく、瞳孔が開いた覚醒状態が続くという、どちらがヤク中なのか分からない状態だった。

 

我が師の後方支援によって、その危機から脱したのも束の間、我が師は乙号証を不同意にしてAQ先行でやれという。証人尋問と併せて1時間余り、私がシナリオを描いて回さなければならない。新人には更に困難すぎる。私には絶対に無理だ。だが、やるしかない。私は私の正義を貫く為にここまで来たのだから。

 

それから3ヶ月間、文字通り「命を削って」公判に挑んだ。24時間、裁判のことを考えていた。ストーリー。ケースセオリー。想定問答。そして弁論。当時絶賛OA中の日曜劇場“アンチヒーロー”の明墨先生になりきり、自らを鼓舞するために大音量でテーマソングを鳴らしながらそれらを無我夢中で起案した。自分は明墨先生(ちなみに我が師は長谷川博己よりもイケメンの、リアル・アンチヒーロである)のように法廷を支配しなくては、するぞ、きっとできる…と、胸の奥から自信が湧いてきた。

 

満を持して死力を尽くして挑んだ公判は、ズタボロだった。証拠採用の攻防戦にも敗れた。無理筋の私の戦略は、裁判長から窘められ通しだった。

我が師より弁論の最終稿が送られたのが公判4時間前。そこから8ページにも及ぶ弁論を完成させたが、その私の「魂の弁論」を、なんと「時間がないので、要旨の告知のみでいいです」と言われてしまった。それだけは絶対に譲れない。「口頭主義なので、言わせて下さい」裁判長の制止を振り切り、騒然とした法廷で、私は一層声を張り上げて弁論を読み切った。これじゃまるで出来の悪い法廷劇、まさしく「お笑い法廷」だ。

 

精根尽き果て、放心状態の私に、開口一番、師は言った。「情熱しか感じられなかった。よく頑張った」。しかしそこから1時間に亘って延々技術面のダメ出しをされた。

傍聴していた友人からは、「裁判官と検察官からあのような釈明を受けてもなお立証趣旨を主張し続ける姿に感動した」と慰められた。「刑事弁護は、(技術ではなくて)熱意なんだと分かった」とも。つまり技術面では大失敗だったということだ。公判後、時間を2時間巻き戻して最初からやり直したい位、悔しくて悔しくて堪らなかった。

 

だが、私は心底、満足だった。

 

依頼人に対し、命懸けで検察官と闘い、社会に抗う姿を見せつけること。たとえ無様な姿だろうとも、依頼人に代わって私が国家権力と闘う様を見せつけ、依頼人に「何か」を感じてもらうこと。それが最終目的だった。最終目的は充分すぎるほど果たされた。

 

乙号証を不同意にするということは、検察官とその配下の警察が権力を行使して「折角」作成した重要な証拠を、「君たちが作成した作文はとても出来が悪いので証拠価値ゼロである」と、ゴミクズとして捨てるということであり、いってみれば喧嘩を売るようなものだ。

「国家に喧嘩を売る」快感は既に知っている。「あなたは、国家に喧嘩を売って、勝ったんですよ」とは、国家制度趣旨に反し3つの学位を得てようやく司法試験に合格した際、我が師より言われた言葉だ。

 

しかし今回は少し事情が違う。同じ「国家に喧嘩を売る」のであっても、今の私の手中には司法権の一端がある。法廷では検察官と同等に渡り合える。

民事の先生よりあれだけ、「司法権という強大なフォースを行使することに謙抑的であれ」と戒められたにもかかわらず、私は既に、伝家の宝刀を振るうことの快感に酔いしれていた。国家権力を背負う相手方と異なり、私の背後には何もない。だから目一杯思う存分、行使することが許される、と思った。

私が、この国の「適正な刑事司法」の一翼を担っている。その正義のフォースの威力を全身で感じた。

 

私は刑事弁護を通じて、識ってしまったのだ。

 

我が師は「これは(検察官との)ゲームなのです」と言った。ゲームと言えば司法試験である。司法試験は日本最高峰の頭脳ゲームであると、私は識っている。

だが司法試験と決定的に異なるのは、まずはこのゲームは「司法権」という強大な力の闘いであるという点。そして、「他人の人生の重大な局面を賭けて」の闘いであるという点だ。

人様の人生でゲームとは何事か、であるが、しかし、だからこそこちらも命を懸けている。魂を込めている。こちらも全人生を賭けて勝負している。

 

司法試験は、命を賭けるに相応しい、最高峰の素晴らしいゲームである。

だけど、刑事弁護は、命を賭けるどころか、「命を削る」だけの価値がある、と思う。

 

 

技術面での大失態はあったが、なぜか判決はこちらの主張が通っていた。担当検事が憮然と席を立っていたのを見て、胸がスッとした。私の情熱の勝ちだ。

 

image

 

今、私は司法試験よりも遙かに素晴らしいものを識っている。

 

果たして私は、最期の時に、夢の中で、司法試験を受けているのだろうか。それとも、法廷で声を張り上げ自由自在に弁論しているのだろうか。あるいは、どちらでもない、たとえば桜の花片が舞い降りる樹の下で、誰かと手を繋ぎあっているのだろうか。