新海誠監督「すずめの戸締まり」公開記念、IMAX映画祭終了と入れ替わりに、TVジャックである。
10月25日深夜、「秒速5センチメートル」(2007)「言の葉の庭」(2013)。
10月28日今夜、「君の名は。」(2016)。
そして、公開5日前である11月6日に、「天気の子」(2019)。
今月だけでもう4回目になる「君の名は。」、今夜もやっぱり涙が止まらなかった。
しかし最近、泣き所が少し変わってきた。RADWIMPS“スパークル”のイントロは涙腺決壊の合図だが、中でも彗星の核が割れ、人々が空を見上げながら「これほどまでに壮麗な天体ショーを」「見ることが出来るのは大変な幸運」とアナウンサーの声をバックに、瀧もまたその美しさに心奪われ見とれているシーン。
彗星はこの後、三葉らに死をもたらす災厄であるのに、人々にとっては美しい幸運なのである。
まずはこの冷酷な「現実」を突きつけられ、私は厳かに泣く。
“人々を救う”ミッションに奮闘中、三葉は「あの人の名前が、思い出せないの」と涙を流す。三葉が誰かに恋をしている事に気付き、苛立つ勅使河原。世界が終わろうとしている最中であっても、“わたし”が探し求めているのは“君”だけなのである。
掌に綴られた「すきだ」の文字を見て、三葉は再び、世界を救うために立ち上がる。
ある人々の世界が破壊されている最中、それは他の人々の世界の平穏に何ら影響しない。破壊される人々は世界から切り離され、孤独である。
また、破壊されつつある世界の中にあっても、「私」は「君」のことだけを想う。「私」と「君」もまた、その世界から切り離され、孤独である。
「ほしのこえ」から始まるすべての新海作品は、この「世界と、私」「君と、私」の2つの視点軸で語られ、最後は「君と、私」がいるこの「世界」を、圧倒的な美しさで描ききって、終わる。
結局新海信者は、繰り返されるこのテーマに心の琴線を鷲掴みされた者であり、このテーマで泣かずに済む人は、生涯、新海作品で泣けないだけの話ではないだろうか。
読売新聞の見開き広告。(世界がどうなろうとも)もう一度、君に会いたい・・・新海作品共通テーマを、一言で言い切っている素晴らしいキャッチコピーだ。自慢だが、このフレーズを見ただけで私は小一時間泣ける。
「君の名は。」放送終了後に流れた、「すずめの戸締まり」冒頭12分間。予想通り、期待を外して度肝を抜かれたなぁ。新海作品はタイトルが気の抜けたサイダーみたいで、ネタバレされる作品テーマが陳腐チックなので、期待度2割弱なのだ。これだってタイトルの下に書かれたキャッチコピーが「行ってきます。」ですよ・・・何のヒネりもないじゃないか。
そして毎回、映画館で期待を激しく裏切られては文字通り「魂消」てしまい、そのまま魂を丸ごと持って行かれた私は、何度でも新海作品を体感しに赴いてしまうのだ。
最大の問題は、11.11に行くのか私?行ってる場合なのか??行ってる場合じゃないだろう???という大問題。うーん。