司法浪人生が、“これを捨てなければ合格者になれないもの”は2つある。今回はそのうちの1つ、「プライド」について。

 

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司法試験に何度も落ちる人でありながら、自らを司法浪人生であると認めることができない人の共通点は、「つまらないプライドを捨てられない」ことである。つまらないプライドとは、別名「見栄」という。

 

彼らは何かを「しない」ことの理由を誤魔化すことにかけては本能的才能を発揮する。

 

 

・丸腰で答案を書かない・・・まともな答案を書けるほど知識が備わってない。

 

・予備校に行かない・・・もう何度も行ったが、役に立たなかった。予備校に行かなくても合格した人がいる。予備校問題は本試験問題に比べて質が劣る。ローの教授が答案指導をしてくれるから必要ない。

 

・スパルタ講義だが合格者多数輩出する先生の講義を取らない・・・人格的に問題ある先生の話など聞くべきではない。

 

・模試を受けない・・・模試はあてにならない、模試の結果が悪かったらメンタルに影響する、模試を受けなくても合格し人がいる。

 

 

これら「やらない」こと、選択「しない」ことの理由として正当化される事情はせいぜい「経済的事情」のみである。

ここに列挙された言い訳の、本音はただ一つ。プライドが許さない、もしくはプライドを崩されることである。

 

丸腰で酷い答案を書いて馬鹿にされたくない。自分は本気を出せばきっと出来るようになると思い続けていたい。

予備校や模試の答案採点は、合格者のバイトで回している。先に合格した友達に採点されるようなものであり、プライドが許さない。そもそも予備校如きに評価されるなんてプライドが許さない。ましてや他の受講生よりも下の点数を付けられたら立ち直れない。

パワハラ講義をする教授は、自分のプライドを木っ端微塵にされることが分かっているから、絶対受けない。

模試でダメ出しされたらプライドもろともメンタルが崩壊してしまう。

よって、これらから「全力で逃げる」。格好つけて言い訳並べても所詮はただのチキンなんである。

 

プライドを捨てられない「現代の」司法浪人生は、周りに司法試験を受けていることを隠したりなんかする。落ちたら格好悪いからである。言い換えればその者は、司法試験に落ちることを恥と思っているということである。

 

そこには潜在的に不安と自信のなさとプライドの高さが隠されている。自身の合格を信じて疑わない者は周りに隠さないし、不合格を恥と思わない者も隠す理由がない。一方、何度も落ち続けていると、周りから「何度受けても駄目な人」「まだ受けてたの?」「どうせ受からないのに」といった憐憫の目を向けられることに耐えきれず、隠すようになる。それは本当は、自身の心の声に過ぎないのに。

 

(「現代の」と留保を付けた理由は、昔の司法浪人生は、5年10年が当たり前の世界であったので、司法浪人生が一種のステイタス化していたのである。大昔に合格している恩師に「君は一生司法試験受験生でいたいんだよね、その方がプライド保てるしね」と言われたが、恩師は時代の変化を知らないのである。令和3年度の合格者の内訳を見よ。1発合格者がなんと7割である。司法浪人はほぼ淘汰されたのである。)

 

 

そのような人に限って、それまで受験していたことを必死に隠していたくせに、合格した途端に全世界に向けて合格を叫ぶんである。そう、今のこの私みたいにね。

 

だから私は、自身が司法浪人生であることを隠さず、全世界に向けて司法浪人を叫び続けているのみならず、戦いの証としての再現答案を全世界発信している司法試験ブロガーに心から敬意を表する。彼らは「プライドを捨てる」という、司法浪人からの脱却の第一関門を突破することに勝利した真の勇者である。

 

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私が自分の中のつまらないプライドを徹底的に棄て切れたのは、僅か6年前からである。あの日私は、合格の為なら何でもする・悪魔に魂を売り渡してでも合格すると固く自分に誓い、恥の概念を根こそぎ捨てた。

 

逆に言えばそれまでは、ただの見栄っ張りだったのだ。長く勉強しているのに出来ないヤツと思われたくない、自分の実力が本当はないのを認めたくないし周りにバレたくない・・・そんなつまらないプライドを握りしめていたのだ。だから上に挙げたもっともらしい「理由」が言い訳というよりは自分自身に対する誤魔化しに過ぎないことを、一瞬で看破できるのである。何故ならそれは、かつての自分そのものだから。

 

プライドを捨てると、周りの雑音が一切心に届かなくなる・司法試験に合格しやすくなるといった本来的効果を得られるだけではない。副次的効果として、支援の手と応援の声が届くようになる。

 

全ての誇りを捨て去ったあの日から私は、自身の経歴を一切隠さぬようになった。「私は何年も何回も司法試験に落ち続けている、駄目な人間」である姿を素直に曝け出すようになった。

周りの受験生は異次元の存在としてドン引きしていたかもしれないが、中には興味を持って近付いて来る子や、慕ってくれる子もいた。

そして何より、私が形振り構わず縋り付くように努力を重ねる姿を見て、何人もの指導者が、私を引き揚げようと手を差し伸べてくれた。

合格したその日、私の名前を合格者名簿で見つけていち早く連絡下さった先生もいた。合格を知らせれば誰よりも驚喜し、「あなたに残された時間は少ない。少しでも世のため人のためになる良い仕事を、その姿を私に見せて欲しい!」と涙が出るような激励の言葉もあった。心からの歓喜の言葉、激励の言葉を私如きに惜しみなく下さるその姿に、恐縮すると共に「法曹界に入ることを歓迎していただいたこと」に感動・感激したものだ。

 

その中の1人に、私の大恩人の予備校講師がいる。司法試験受験生ならば知らない人はいない、司法試験指導一筋10年以上、業界の最前線で教壇に立ち続けている、日本随一の看板講師である。

その先生から、私の名前を合格発表日に確認して下さったと聞き、私は自身の合格以上に嬉しかった。

 

ところで、司法浪人生にとって最も厳しいと思われる言葉は何か。

それは、一流の指導者から言い放たれる、「あなたの答案は駄目です。これでは受からない」である。

 

これは全人格を注いで勉強の成果を答案化してきた者にとって、人格全否定にほぼ等しい、死刑宣告に他ならない。しかしこの言葉こそが、司法浪人生を合格者に変えうる唯一の言葉たり得るのである。

司法浪人が自己否定できるのは、司法試験を諦めた時のみである。しかし司法浪人から脱したいのであれば、他人から死刑宣告してもらい、それまでの自分を一旦破壊するしかないという二律背反状態なのである。

しかも、あの言葉が「司法浪人から合格者に転生する、呪術的な言葉」であることは、自分が合格者に転生してから初めて分かることである。

 

私は人生で2度、この言葉を2人の先生から言われた。

 

1度目は4年前、その「一流の司法試験予備校講師」からである。その言葉で全部棄てたと思っていたプライドの欠片が吹き飛んだ。

 

2度目は今年、この3年間新たに私の最強の「導師」として指導して下さった先生から、本試験2ヶ月前に言われた。私が合格したのは、この先生の言葉のお陰だ。

 

その、4年前にこの言葉を私に言い放つことで、捨てきれずに残っていたプライドの欠片をバッサリ切り捨てて下さった講師の先生と、この度先生の事務所で面談するという長年の悲願が叶った。

 

私は先生の事務所のビル、眼下のスタバを勉強場所として、連日馬鹿みたいに受験勉強をしていたのである(過去記事「司法浪人がスタバで云々」参照)。この5年間、自分が勉強していたスタバを見下ろし、私にとっての制覇の証はここであったかと、感極まる想いで心に勝利の旗を立てた。

 

夢にまで見た時間はあっという間に過ぎた。司法試験についてあれほどまで夢中に凝縮して語り合えた時間は、未だかつてない。まるで自分の人生の答え合わせをしているかのような、奇跡のようなあの瞬間は、これからも一生の財産として、心の底に鎮座し続けるだろう。

 

お別れのエレベーターホールに至ってもなお話が尽きず、最後は「プライドを捨てられない受験生」の話になった。

 

「プライドを捨てて下さいと言っても本人は捨ててると思ってる。いや、捨ててませんよと言っても、自分は捨ててますと言い張る。プライドを捨て切れていない人がいかに多いことか」

 

「まさにその通りです。プライドを捨てたからといって合格するわけではありませんが、プライドを捨てないと合格は出来ませんよね」

 

「プライドを捨て切って、初めてスタートラインに立てる。プライドを捨て切るところから始まりですね」

 

「私もそうでした!全く本当にその通りですね」

 

そう言い合った瞬間、エレベーターの扉が閉まり、私は再び下界に降り立った。

 

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可愛らしいパートナーからは。

こうしていつも励まして貰っていた。

多くの人からの夢も託されているんだな、といつも思う。

 

某スタバ店舗の歴代パートナーで私が司法試験を長年受験していることを知らない人はいない。スタバのパートナーも各々の夢を追ってカウンターに立っている。志を全うした者、志半ばの者、新天地に旅立った者・・・あの若人たちは何処に行き、今如何に迷い悩み、笑い、生き抜いているのか、1人1人に想いを馳せる。彼らだけではない。この6年間に出逢った、掛け替えのない人々に。

袖振り合って交差する縁も、私が「プライドを棄て切る」という司法浪人としての矜持を胸に、じっと座り続けていたからである・・・

ということにしておこう。

 

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猫としてのプライドを失い腹を見せるニャース