一億総ネオテニー化。

 

かつてそんなフレーズが頭に浮かんだのは、「ラスト♥シンデレラ」(三浦春馬×篠原良子)と、30年前のマイ・バイブルドラマである「誘惑」(篠ひろ子×林隆三)を、〝年下男子に誘惑される〟設定が同じというだけで並べてみた時の事である。(過去記事「誘惑」参照)

 

それから更に時計の針は進み、その三浦春馬が早逝した8年後の現在、ネオテニー化は深刻なまでに進行していた。

 

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今、マイ・イチ推しドラマは神木隆之介主演の「コントが始まる」である。

 

シチュエーションといいセリフといい演技といい、誰もが胸の奥にしまい込んでいる大切な歴史を想起させられては、毎回号泣必至の青春群像モノである。

 

なんといっても主演がここ10年一筋イチオシの神木くんである。役柄も現実の神木くんをそのまんま持って来たかのような、ひたすら明るいムードメーカー&友達が全ての友情中心主義&永遠の中2なあどけなさに、ちょっとだけ可哀想な境遇という設定を与えつつそれを微塵も感じさせない笑顔、これが観る者の母性を直撃する。

この神木くんを中心として、今をときめく菅田将暉&新進気鋭な仲野太賀、神木くんと多数共演経験ありで息がピッタリな有村架純ほかで神木くんの脇をしっかり固め、都会で夢を追っては傷を負う、挫折と挫折と挫折の青春群像劇である。尚、もしかしたら主演は神木くんではないし、展開も神木くんが中心というわけではないのかもしれないが、筆者が神木推しということで多少のズレは許して欲しい。

 

 

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一方、4月3日に田村正和がこの世を去り、現在CSで再放送中の「ニューヨーク恋物語」も同時進行で見ている。尚、田村正和は、30年前当時の私の王子様である。

 

久しぶりに見て今更気付いたのだが、これは男女の恋愛ドラマではなく、所謂青春群像モノだったのだな。夢を掴む為に、傷を負った自分を変える為に、自分の人生を探す為に、各々の理由を抱え大都会ニューヨークに集結した若者たち。

若者たちの栄光と挫折の象徴として君臨するのが摩天楼であり正和様である。年齢も人生経験もそして恋愛経験も彼らをよりレベルアップしたような正和様を中心として、若者達の人生が交錯していく、青春群像劇。

 

しかし「大都会」とか「ニューヨーク」とか、「摩天楼」といったワードが既に前時代物の骨董用語であり書くだけで非常に恥ずかしい。ニューヨークで一旗揚げてやる、とか、英語を駆使してアメリカンを前にプレゼンをするのが成功の象徴、とか、準主役の桜田淳子がトレーダーとして成功し摩天楼から下界を見下ろす、とか、バブル絶頂期の日本人の価値観を学ぶ教科書として観るのが正しい鑑賞法であろう。

GDPで日本がアメリカを抜き去り、「ジャパン・バッシング」が起きようがなんだろうが、ニューヨークこそ当時の日本人の夢の集大成であり終着点なのである。物心ついた頃からウルトラクイズ「ニューヨークに行きたいか-ッ!」の号令で育まれDNAに刻み込まれてきた我々は、誰もが心で自由の女神を目指していたと言っても過言ではなかった・・・

そんな時代背景を理解して欲しい。

 

そして更に気付いて愕然とした。

この「ニューヨーク恋物語」の正和様を除いた若者たちの設定年齢と、「コントが始まる」の若者たちの設定年齢「28歳」が、全く同じであったことに。

 

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同い年であるにもかかわらず、1988年の28歳は恐ろしく老成していた。20歳差はあるだろうか。

ジャケットだけで逆三角形を実現するイタリアンなダブルジャケット(肩パッド入り)や、 女性全員クルクルパーマといった出で立ちだけが問題なのではない。人との関わり方、会話、恋愛、人生に対する構えというか、人としての在り方そのものがもう、根本から違う。

どちらも自分の人生を探し、追い、もがき、掴もうとしては挫折する若者を描いたドラマであるのは同じであるにもかかわらず。

 

 

1988年の若者は、NYの雑踏で正和様とじっと見つめ合うだけで既に口説き落とされている。正和様と目が合っただけで次のシーンは正和様に恋に堕ちているか、ベッドに押し倒されているかのどちらかである。男女6人+昔の女とその娘、このメンバー内で惹かれたり付き合ったり押し倒されたり別れたり、一回転して相手が入れ替わったりとただただ激しい。

夢敗れてアル中になり酒を求めて徘徊する正和様。堕落した姿も美しい正和様。私の手で正和様を支え、立ち直らせるという全女性が夢見るシチュエーションを叶えてくれる…

実はこの「ニューヨーク恋物語」は青春群像劇であると同時に、「正和様七変化」を堪能できる、正和様による正和様推しのための正和様萌えドラマでもあったのだ。

 

 

一方、2021年の若者は…

 

初回から男子3人トリオが毎回毎回飽きることなく延々と戯れあっている。ひたすら男子同士でキャッキャとはしゃいでいるものだから、高校生からの彼女と付き合っている仲野太賀を除き未だカップル不成立。

いや、第7話で神木くんがキスをして「サプラ~イズ!」とおどけたところでやっとかろうじて1組成立か。NYだったら相手が入れ替わって2回転目に突入している頃だ。

 

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「NY~」では正和様が拳銃を手にして人を殺しに行こうとするのを必死に押し止めているかと思えば次の回では拳銃で腹部を撃たれて膝から崩れ落ちている、丁度その頃。

「コント~」では3人でじゃんけんをしていた。

寝る場所取りに始まり、何を決めるにもじゃんけんで真剣勝負。敗れた方は咆哮しながら同じポーズで崩れ落ちている。

 

「NY~」では「私のことなんてどうだっていいのよ!」などと絶叫する岸本加世子の口を正和様が唇で無理矢理塞ぎ、荒々しく押し倒されている頃。

「コント~」では深夜の公園でブランコ漕ぎながら「アルプスの少女ハイジ」のテーマソングを絶唱する有村架純を見かけた菅田将暉、隣のブランコに誘われ、愚痴を聞かされていた。

 

重ねて言うが、彼らは同じ「28歳」設定である。

 

まぁあれだ、テーマソングが「NY」は井上陽水「リバーサイドホテル」であるのに対し、「コント」は「あいみょん」だもんね、あいみょん。
方や「井上陽水」、方や「あいみょん」。文字面だけで充分、成熟vs未熟の闘いが成立している。

 

 

これは1987年の若者が老成していたのではない。2021年の若者がネオテニー化しているのだとしか思えないではないか。

 

そして2021年、若かりし頃熱狂し憧憬を寄せたはずの「ニューヨーク恋物語」を骨董品を愛でるかの如く鑑賞し、高校生のまま時が止まったような夢追い少年少女の「コントが始まる」に、現在進行形で涙を流しながら共感している自分も、間違いなくネオテニー化しているのだ。

 

つまり、少なくとも現代日本において50代以下に成熟した「大人」など存在しないのかもしれないというのが結論である。無論、この私も例外ではない。

 

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「コントが始まる」第5話で、菅田将暉が有村架純に「努力って、報われると思うか?」と問うているシーンで、彼らよりは少しだけ経験値を得ている私は突っ込みたくなった。

その問い自体が誤っている。報われようが何だろうが関係ない。努力するというプロセス自体に価値があるのだ、と。

 

それはそのシーンの少し前、既に神木くんが答えを出していたのである。

 

「夢が叶わなくたって、幸せだった。

 夢を語り合える時間があれば、それだけで幸せだった」

 

真の幸せは、何かを成し遂げようと挑み続ける日々の中にある。その心がある限り、私たちはきっと、永遠に少年少女のままだ。

 

 

※私が初めて田村正和を認識したのは、「パパキャス」じゃなくて、角松敏生〝THIS IS MY TRUTH〟が主題歌の「敵同志好き同志」でした!角松ソングを背景に、ハードにクールにスタイリッシュに街を闊歩する正和様に一目惚れしたんだった、そうだった忘れてた。

 

角松敏生OPは3:00~。歩きながら正和様がジャケットを脱ぐシーン、ネクタイを緩めるシーンの背後に何故か流れる効果音〝ズキューン〟に併せて私の心も撃ち抜かれていた、てかあのズキューンって音、謎だな・・・

 

 

角松敏生×田村正和の注目の共演シーンは26:11~!!!「あっごめん巻いてなかった」は角松さんのアドリブです!「初めてなのに(アドリブぶっ込むとは)度胸あるね~」と正和様に褒められた(?)とか。

終盤は角松の曲をBGMに取り入れていたという、熱狂的角松フリークであり正和ファンでもある私には悶絶もののドラマ、万一DVD化されたら〝大人買い〟(←ここだけは大人になります)させて頂きますよ!!!