本当はライブレポなど書いてる場合じゃないんですが、今書かなきゃ数日後にはあの感動も忘却の彼方間違いなしなので、要点のみざざっと掠います。

*注 これはライブレポではありません。きちんとしたライブレポは、真のポール・ファンのブログ等をご参照下さい。
 


本当は絶対にライブに行ってる場合じゃないのに、こちらの都合お構いなしにチケットを調達してきてしまった迷惑な人がいたため、泣く泣く(?)やってきました東京ドームはポール・マッカートニーのアウトゼアージャパンライブ2015。



夕闇迫る東京ドーム・・・


東京ドームに足を踏み入れるのは17年前の「三大テノール」以来。ここ2~30年ほど、ざっくり言えば「角松敏生のライブ以外、ライブに行ったことがない」(ざっくり言い過ぎ)ので、圧倒的なスケールにひたすら圧倒されるばかり。「角松敏生30周年記念ライブ@横浜アリーナ」の5倍のキャパかぁ・・・でも、全世界で現存するミュージシャンの中で、間違いなく最多のファン数を有する人間のライブだもの、そりゃ当然だ。


お約束の“大群衆”

ところで私はプロフィールには「16歳の時に角松敏生に出逢い・・・」と書いているが、実は、同じ頃運命的な出逢いを果たしているミュージシャンがもう二組、いる。うち一組がTHE BEATLESというわけ。時期的には丁度、角松よりも1年早い。

ビートルズは15歳~16歳の、人生で最も他人等々から影響を受け易い多感な時期に文字通り貪るように聴きまくっていた。親しかった友達と二人で競い合って全曲暗記。友達はポール派で、私はジョン・レノン派(但しアイドル時代と最晩年のみ。途中のヒッピーな小汚いジョンは徹底除外)だったが、今初めて気付いてみればアイドル時代のジョンってば、私の永遠のアイドル・E.プルシェンコ様にソックリではないですか!!!マッシュルームカットも同じだよ(いや、四人とも同じカットですって・・・)。そりゃぁ私がジョンを推してたわけだ。三つ子の魂百まで。好みって一生変わらないのか?

ルックスはともかく、音楽的にはポップス寄りなポールの方が聴きやすく、当然のことながらウイングス、ポールのソロもきっちりリアルタイムで抑えていた。「ヤア!ブロードストリート」は発売日に買った記憶が(しかしあのアルバムの一曲目の邦題、「ひとりぼっちのロンリーナイト」は「武士の侍」「馬から落ちて落馬」と同じじゃないのかな・・・?)。ソロになってからのジョンの曲は左翼チックなテイストが苦手で、LOVEとかWOMAN以外はちょっと・・・ね。しかも当時既にジョンは他界していたし。ちなみにソロになってからのポールの曲で、私が一番良く聴いていたのが「TAKE IT AWAY」。タッグ・オブ・ウォー収録のこの曲、なんとドラムスがリンゴとスティーヴ・ガットのツインドラム!角松敏生の“Prayer”でドラムを叩いていたガットさん、偉大すぎ・・・。

ビートルズも含めて、ポールを聴いていたのは20歳頃まで。つまりそれ以降は角松敏生しか聴かなくなったから。しかし、その角松さんも「小学生の頃ビートルズに出会い・・・」影響を大いに受けている。だからその後もずっと、角松敏生経由でビートルズを聴いていたようなものだ・・・ということにしておこう。

その僅か4~5年間聴いていた記憶は、絶対に一生忘れていない、ハズ。ポール時代もウイングス時代も全部覚えている!と絶対的な自信を胸に、「予習ゼロ」でドームに乗り込んだのだが・・・


そんな私は甘かった。
「我こそは真のビートルズファン」「我が人生はポールと共に」的な主張を全身から強烈に放っている「リアルファン」が、10人に1人の割合でいましたよ。
何しろ、「アウトゼアー」のTシャツや手ぬぐい、トートバッグ等々、ポールグッズを身に纏い、ドヤ顔で見せつけまくる御仁の多いこと多いこと・・・!
そして、そこここで、ファンクラブ仲間とおぼしき小集団が、口角泡を飛ばしながらポールの蘊蓄を披露しまくっているではないですか・・・!
「我こそは真のファン」であると競っている先輩方を見ていると、つい数分前まで「ウイングス時代の曲も抑えてるよ~ん」と威張っていた自分がえらく恥ずかしく、「恐れ入りました」と何故か肩身が狭くなる。この方達は当然、私のように「予習ゼロ」などではないだろう。ていうか普段からポールやレノン・マッカートニーの曲を人生のお供にしている方達だ。それなのに、私なんかが来てしまって済みません・・・ってなんで恐縮してるんだ、私。

ふと気付いたが、トシキのライブでは私は間違いなく、「我こそは真の角松ファン」ってな顔をして肩で風切ってるかもしれない。そういえばファン仲間で「25周年の時はね・・・」だの「デビュー当時はね・・・」などと蘊蓄を披露して・・・ないだろうなぁ(汗)来年の35周年記念ライブ@横アリでの振る舞いに気をつけようっと。


開演予定時刻を1時間近くオーバーしたところでポール登場。
「帰ってきた~YO!」「有~言~実~行!」・・・と、最早ファンサービス以外の何物でもない片言の日本語を連発連打。そしていきなりEIGHT DAYS A WEEKかいっっ!!!一気にバックトゥザ・フィフティーン・・・・・・「予習ゼロ」の効果が意外なところで発揮されたような気が。およそ30年ぶりに聴く愛すべきビートルズ・ヒットナンバー、新曲を一曲挟んでALL MY LOVING、そしてウイングスの名曲、JETでスタンドを興奮の坩堝に突き落とす!

突然だが「あなたのビートルズナンバーベスト3は?」と聞かれたら何を挙げるだろうか。「1.レボリューション9(ジョンがひたすら、ナンバーナイン、ナンバーナインと呟き続けるだけの発狂しそうな曲) 2.HerMejesty(ビートルズナンバー中最も短い曲で、十数秒で終了する) 3.サージェント・ペパー・インナー・グルーヴ(レアリティーズ収録で楽曲ではない単なるノイズ)」を挙げてはファンからも一発で嫌われるような変態を除けば、この日のセトリはほぼ全てのファンのMYベスト3を網羅している筈だ。そんな私のベスト3も、ベタベタだが1.LET IT BE  2.YESTERDAY 3.THE LONG AND WINDING ROADで、勿論3曲ともセトリに入っている。

嬉しいことにポールはリリース当時のアレンジを殆ど変えずにプレイしてくれたような気がする。特にTHE LONG AND WINDING ROADは、あれだけ揉めに揉めたオーケストラバージョンをほぼ再現。さすがポール、「オリジナルは永遠に」のファンの想いをよく理解しておられる。伊達に4分の3世紀生きてはいない。

実は正確に言えば、30年ぶりに聴いたのはポールのナンバーであって、ビートルズナンバーは最近しっかり聴いている。特にビートルズ黎明期の初期ナンバー。それは1994年公開の映画「バック・ビート」に心を鷲掴みにされてから。あれから今に至るまで、初期のロックン・ロールナンバーが胸を熱くさせる。


ビートルズがメジャーデビューする前&リンゴ・スターが参加する前、ビートルズのベーシストはスチュワート・サトクリフだった。映画はそのスチュを主人公に、ビートルズのメンバーがハンブルグで「どさ回り」をさせられていた当時の、熱病に浮かされたような若すぎる4人の青春群像を描いている。
しかも当時のビートルズのプレイを完璧に再現した“バック・ビート・バンド”の完成度が高すぎるのだ。ビートルズが今の技術でプレイして、デジタルリマスタリングしたらこんな感じ?って感じ。1st2ndアルバム収録曲を再現していた映画のサントラ盤(廃盤)は私のお宝で、オリジナルよりも聴きこんだかもしれない。
どういうわけか自分が若かりし頃は頭を掠めもしなかったのに、「若さ」とか「未熟さ」とか「焦燥感」とか、「大人になりたくてもなれないくせに大人ぶってる少年」にどうしようもなく惹かれるのは自分が年を取ったからなのだろうか・・・?楽曲も、洗練され老成した感のある後期ナンバーより、まるで発情期のように荒く奔放な当時のロックナンバーの方が胸熱だ。
というわけで、アンコールのCAN'T BUY ME LOVE含めこの日演奏した初期ナンバー3曲。ポールのシャウトが60年前と遜色なく若々しく聞こえ、ただただひたすらに胸熱。


でも、一番「聴けて、良かった」曲は自分でも意外なのだがウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」だった。この曲は間違いなく、32年前に数回聴いただけで以降一度も聴いたことがない。なのに完璧に記憶していた。そして一瞬でバック・トゥ・ザ・フィフティーン、あれから一度も思い出したこともない当時の記憶が蘇る蘇る・・・。自分は曲と共に当時の想い出までも封印していたのかと記憶の渦にしばし唖然。

それにこの「バンド・オン・ザ・ラン」、当時はそれ程いいとは思わなかったのに、今聴いたらいいね!なんてものじゃない。なんなんだこの超名曲は。素晴らしすぎる。今までそんな当たり前のことも知らなくて本当にごめんなさい。真のポール・ファンはこの曲が名曲だということは百も承知だったのだろう、ステージスクリーンにこのアルバムジャケットが投影された瞬間、客席から歓喜の悲鳴が上がるわけだ。

ステージが最高潮に達したのは間違いなく「007死ぬのは奴らだ」の「LIVE AND LET DIE」。なんてったってステージが火を噴きまくるんだから。爆竹?花火??も大量投下でステージのポールは難聴に(笑)「ヘルタースケルター」を歌うポール、御年72歳。72歳で「ヘルター・スケルター」だよ?これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶ。


しかし何といってもLET IT BE。いつだったかどこでだったか誰が言ったかまるで思い出せないけれど、「青春て、誰かが死んじゃうんだね」というこの言葉通り、15歳から20歳までの危うい時代をサバイブできたのはビートルズの「LET IT BE」があったからだ。もしもこの曲に出逢っていなければ、今、私はいなかったかもしれない。そしてあの頃、人生2度目の危機に瀕した時に私の傍らにあった曲はLET IT BEと同義の、角松敏生「あるがままに」だったというのも因縁だ。人生を支えるものは色々あるけれど、自分の場合それは音楽だったということだ。

まさか、30年の時を超えて、LET IT BEを生で聴ける日が来るとは思わなかった・・・と、あの時代を生き抜く事が出来なかった我が友に、ふと伝えたい、気がした。