私が本格的に、所謂「スピリチュアル」について批判的な分析を書き残すようになって1年になります。この1年、本当に貴重なご意見、ご経験談をお寄せ頂きました。ありがとうございました。
皆様からのご経験談はすべて、何らかの形でその後の記事に反映されております。


以前は、「脱スピ」された方と、私自身が経験しておりますような「知人・友人がスピにハマって」という方が多かったのですが、最近は、「ご家族がスピにハマって」という方が増えて参りました。知人・友人であれば、距離を置くだけで解決しますが、ご家族の場合はそうも行かず、最も深刻だと思います。カルト宗教と異なり、スピリチュアルにハマった人を救出する方法というものが世間には存在しておりませんので、なかなか周囲の理解、特に本人の理解が得られないと思います。
ですが、スピリチュアルとは実際の所はカルト宗教と殆ど同じか、それ以下ですから、カルト宗教よりも容易に抜ける事が可能と思います。実際、殆どの方が、どこかで、ご自身で気付かれて、「自らの意思で」スピ抜けに成功しておられますから。


このブログは本来は某アーティストさんのファンブログと、自分の趣味で考えたことなどを適当に書き連ねていたものでしたが、自分の趣味が、刑事事件とその裁判の帰趨を辿ることだったり、好きなゲームやアニメ、ドラマや映画などを取り上げたり、美容関係情報ですとか(?)、時事というか特定の政治家にニラニラとと粘着してみたり、とにかく雑多な事柄になってしまい、収拾が付かなくなって読みにくいことこの上ありません。

そこで、特に最近アメンバーになられた方や、スピリチュアルについての記事をざっと辿りたいという方向けに、簡単なガイドを記します。


 ブログトップから、上部中央の「記事一覧」をクリック→ 「テーマ別記事一覧」をクリック→ 「スピリチュアル批判」をクリック

これで、スピリチュアル批判についてのエントリー一覧が閲覧できます。


また、2011年11月7日~2013年6月28日までの間の記事は、後述致します私の「師匠」と出逢う以前のエントリーで、スピリチュアルについて一人であれこれ勝手に考えたものであり、未だ分析途中のものです。したがって現在の私の考えの「元」にはなっており、その萌芽は見られるものの、裏付けや確証が得られていない為、あくまでも「感想」の域を脱しておりません。


2013年9月から展開しております主なテーマは、以下の通りです。

スピリチュアルの嘘と欺瞞(スピリチュアル思想に共通して見られる傾向を取り上げ、その巧妙な思考のからくりについて考察しています)

スピリチュアルが行き着く処は「お金」である(私たちが「スピ職人」と呼んでいる、スピリチュアルを生業としている方々が、いかにお金に拘泥しているか。その集金システムについて。)

スピリチュアルが嫌われる理由(スピリチュアル思想が自己中心主義を正当化し、促すことによって周辺に生じる軋轢と弊害、またカルト宗教との類似点について。)



2013年の夏に、私は「スピリチュアル歴10年余」の脱スピされた方からメッセージをいただきました。その方との交流を通じて、私はスピリチュアルについてのより深く正確な知識を得ることができ、また、議論を重ねることによって、深い理解を得る事ができました。それまで私が感じてきたことは概ね間違っていなかったということ、少なくとも脱スピされた方の共感を得るものであったことも分かりました。
私のその「師匠」との議論の成果が、「スピリチュアルの嘘と欺瞞」から始まる問題提起に繋がったのです。そして、それをきっかけに次々と新たな「師匠」が現れ、皆様から教えていただく事で、更なる問題提起と分析に繋がった次第です。その意味で、2013年9月以降の記事は、メッセージをお寄せ頂いた皆様によって作られたと言っても過言ではありません。



尚、「スピ職人」「スピ商人」「スピ漬物」は、師匠考案の用語です。これ以上のものは考えられない的確な表現なので、使わせて頂いております。
おまけとして、当ブログで使っている用語について、まとめておきましたので、ご参照下さい。




アンチ・スピリチュアル用語辞典

スピ職人 「師匠」考案の用語で、スピリチュアルカウンセラー・ヒーラー・チャネラー・サイキッカー・セラピスト等々、スピリチュアルによって商売をしている人間の総称。スピ職人が名乗る名称は無限に存在しており(例:レイキヒーリング・オーラリーディング・エンジェルセラピー・ライトワーカー・ブロック解放ワーカー・エナジーワーカー・・・)、その技法(セッション、セラピー、ワークなどと言う事が多い。複数人だとセミナーやワークショップとも)も無限に存在しているが、実はどれも根幹となる思想は同じである。


スピ商人 これも師匠考案の用語で、スピリチュアルを商売にしている人間のこと。スピ職人より稼ぎが良い。


スピ漬物 同じく師匠考案の用語。スピリチュアルにどっぷりハマった人のこと。ハマリ度合いが半端ないため、人生観のみならず日常生活から人間関係に至るまで全てをスピリチュアル視点で思考・判断・行動するようになる。ここまで来ると、こちら側の人間との意思疎通が不可能になる。


金太郎飴 これも師匠考案。スピ職人・スピ漬物の言葉・思考回路・態度・生き方全てを一言で言い切るとこうなる。どこかで見たことのある言葉のコピペに次ぐコピペ、思考回路までもコピペ。いくら「ユニークな自分なりのスピリチュアル」を模索し構築したつもりでも、同じ枠組み内でグルグル回っているだけなので、外から見れば全部同じ。

こっちも金太郎飴 いかなるスピ職人と関わろうが、こちら側の人間の受ける印象・感想・意見・疑問・ダメージも判で付いたように同じ。これが、スピ漬物が金太郎飴であることの証拠です。



全部自分に還元主義 スピリチュアルの根幹思想の一つで、自分の身に起きることは全て、自分に原因があるか、自分の心の鏡に過ぎないとされる。従って自分の気の持ちようで世界はいかようにも変わるとされる。


スピ変換 スピリチュアルお得意の技で、「全部自分に還元主義」の帰結として、自分がポジティブに捉えれば物事はポジティブになるため、物事を全てポジティブに捉え直そうとする心の動きのこと。どんなにネガティブな出来事でも、「スピ変換」をすれば見事にポジティブな出来事になる。


全部自分に還元主義+スピ変換の弊害:自分のみならず他人をもこのような目で見る為、他人の身に降りかかった極めて不幸な出来事さえも、その人に原因があるとか、意味があるとか、気の持ちようでポジティブな出来事になるとか言ってしまう。そして、それが暴言になるということに気付かない。

 また、自分の身に起きる出来事を全てスピ変換し続けているので、世の中起きる事が全てポジティブだと思い込むようになる。自分以外の他人の視点に立つことができなくなり、その結果、他人の心の痛みに鈍感になってしまう。


ブログ スピ職人の唯一にして最強の営業ツール。


エゴイスト スピリチュアル思想を語るときに欠かせないのが「エゴ」だが、結局の処、スピリチュアルにとって都合の悪い意識の働きを「エゴ」と呼ばせているに過ぎない。常にいかなる時も自分の心の作用を意識することに全精力を注いでいる為、スピリチュアル信奉者は他人のことを考えないエゴイストになる。



「頭で思考するな。ハートで感じろ。」 これを言わないスピリチュアルは皆無。人から思考力を奪い、簡単に洗脳できる。



ヒーラー養成講座 スピ職人やスピ商人がもれなく用意している、金のなる木のこと。これを受講すれば誰でも簡単にヒーラー等のスピ職人になれる。高額プログラム故に、受講料の元を取るために自らもスピ職人にならざるを得なくなる。晴れてヒーラーになっても、他のスピ職人が用意しているヒーラー養成講座を受講したり、同業者同士で回している事が多い。

スピリチュアル・シッピング スピ職人、スピ漬物が当たり前のように行っている、複数のスピ職人を渡り歩いて自分探しの旅を続けていること。



シンクロ シンクロニシティの略。偶然の一致に意味を見出し、その偶然は必然であるとするのがスピリチュアルだが、スピ職人がこれを使う時は、意味を無理矢理こじつけて自分のスピリチュアル技法に効果があったと思わせる為に使われる。
またシンクロ+スピ変換が同時に行われる事が多く、全て必然で意味のあるポジティブな出来事に変換される。「自分にとって」ポジティブなシンクロ現象なので、他者の都合や心が勝手にねじ曲げられて認識している事に気付かない。


二極化 人を騙す時に使う「二択選択状態」のスピリチュアルバージョン。


判断する スピリチュアルが禁じている愛のない行為。しかし実際はスピ漬物が知らず知らずに人を判断しまくっているのが実態で、スピリチュアルの矛盾を示す典型的行為として挙げられる。


バシャール 精神世界・ニューエイジ信奉者が熱狂的に支持するアメリカ人のチャネラーの自称名。日本のスピリチュアルはバシャールの言葉を用いる事が多い。「ワクワク教」として有名だが、オカルティックで失笑ものの予言を次々に残しては、悉く外しまくっていることは余り知られていない。「地球は今、変革期に入っている!」が口癖。地球はいつでも変革期ですってば。


学び・気づき 当ブログ主が嫌いな言葉。自己啓発セミナーが常用し、スピリチュアルでは「学び」=「体験」、「気づき」=「悟り」の意味を持つ。「学び」と「気づき」を頻繁に使う人の言葉には、重みも深みもないという特徴がある。


シェアする 当ブログ主が辟易している言葉。学び・気づきと同じように、スピ職人が常用しているおかしな日本語。意味は文字通り「分け合う」だが、「体験をシェアする」=他人の体験をあたかも自分が経験したかのように共有する、「感想をシェアする」=他人の感想を披露し思いを共有する、「ブログをシェアする」=ブログをリンク・転記してブログの内容を思いと共に共有する、というように、全てその内容を「思いと共に共有する」のが前提となっている。共有するだけなので、精神的・思想的進歩は一切ない。

毎日、スピ職人はブログで全世界に向けて意識を「シェア」しているが、シェアするとはこれ即ち「思考停止」に陥ること。スピ職人はシェアと称して自分の体験のお裾分けを読者に無理強いしているので、【これを受け取るとそこで思考が停止する】と覚えておくこと。決して受け取らず、丁重に返戻しよう。


守護霊、天使、過去世、宇宙意思、レムリア、スターチャイルド、ハイヤーセルフ、クリスタルなんとかetc・・・ どう表現しようが、ぶっちゃけ全部同じ。ドラキュラにニンニクと同様の効果を持つ言葉のかずかず。アンチ・スピリチュアルはこれらの言葉を見た瞬間、全速力で逃げ出します。


責任、批判、反省、客観、俯瞰 スピリチュアルの世界にこれらの行為や概念は存在しない。





10月14日追記

微妙にバージョンアップしました。

それから、「スピ職人」という呼び名は、「職人」という語源にそぐわないのではないかというご意見を頂きました。確かに「職人」とは、アルチザン、マイスターと呼ばれる熟練工に付けられる名称であり、本物の職人に対し礼を欠く表現です。
元来の意味は、小手先の技術だけあれこれ捏ねくり回している「職人」のイメージと、「職業人」を掛けた造語じゃないかと思います。また、大多数のスピ職人は、スピリチュアルで商売していながら、それ程稼ぎが良くないので、「商売」と言える程ずる賢く稼いでいる「スピ商人」と区別したいところです。

そこで思案の末、神とクライアントとの仲介人・代弁者的な立場を自認していらっしゃる彼らの立場を尊重しつつ、スピリチュアルを売買の対象とし、人々に麻薬のように一時的な多幸感をもたらしては「スピ中毒者」を増産しているという意味がふさわしい、スピリチュアルの売人・略して「スピ売人」と呼ぶことに致しました。
ただ、このブログ等々では「スピ職人」の名称が定着しているので、以降併記若しくは従前通りの名称を使うこともあります。