昨年末から五月雨式に降り注いでいた課題やら仕事やら何やらかんやら・・・が今日一段落し、ようやく新年を迎えて年賀状を書ける。


あーっ!もう新年、終わりじゃないか!!!


年賀状はこれから書きます。本当に済みませんっっっ!!!・・・とここでお詫びしたところで、リアル友達でこのブログの存在を知っている人は数人しかいないので、意味がない(その数名の方へ・・・年賀状は数日後に届きますので宜しくお願いします。今年も例の、with角松サマの偽家族写真です乞うご期待)。

それも、貴重な二日間、他に何をするわけでもなく箱根駅伝をひたすら見続けるという事に費やしてしまった為のしわ寄せ。

実は私、昨年まで、「箱根駅伝を見る人種」という存在が信じられなかった人でした。

10年前に親しくなった友達が「私、駅伝大好き!毎年絶対見てる」と言うのを「ほぉ~」と珍獣を見るような目で、駅伝を熱く語る様を冷ややかに見ていた私。
元日ってのは、テレビ局の人間が楽するためだけに駅伝を延々と放送してるんだよ、という親のセリフを信じて疑わず、このまま一生、駅伝を見ようと思う事もなく終えるのかと思っていました。

が。

1年前、その10年前の友達の言葉をふと思い出し、彼女が好きだという駅伝ってこれかよ・・・と思いながら画面にしばし目を向けてしまったのが運の尽き。

なぜ日本人が駅伝に熱狂するのか、瞬時に理解しました。
2日間が終わった時、私は見事に一・駅伝ファンに変節してました。


駅伝ファンの皆さん、
今まで心の中でバカにしていて済みませんでした!!!
私が間違ってました!!!




駅伝のどこが素晴らしいのかという話は、きっと私なんかの新参者がここで語るよりも、他に駅伝の魅力を余すことなく見事に伝えきった媒体がゴマンとあるに違いないので、そこは語りません。

もっとも、あれだけ一年前号泣したにもかかわらず、年と共に物忘れが激しくなり、1年経ってみれば記憶に残っているのは「順天堂大学のアンカーのジョジョ立ちゴール」のみ。これはマズイ!!!


というわけで今年を振り返ってちょいと記録に留めますと・・・。

やはり、高視聴率を叩きだしたという9区の、3分32秒差でスタートした2位駒大の窪田忍君の走りは泣けましたね。
エースとしての責務を果たせなかった・・・と、10区のアンカーに繋いだ時に号泣しているのを見て、テレビのこっち側でも号泣者多数かと。

往路絶好調だった拓殖大。8区で宇田君が転倒した後も、ヒヤヒヤでした。まだ一年生、ここで自分が遅れたら責任重大との重圧を背負わせるには若すぎるとの思いで、ついつい応援してしまう。

しかし去年も感じたのですが、箱根駅伝の面白さの一つは、実況アナの過激な煽り口調ですね。
盛り上げようとしているのは分かるのですが、勢い余って、ヘンな実況になったり、もっと涙を流させようとして逆にお笑い実況になったり・・・

宇田君が転倒した後、ジリジリと追い抜かれている最中、確か

「今、宇田が給水のペットボトルを取り、
自分は一体なにをやってるんだ、自分は一体なんなんだというように沿道にペットボトルを叩きつけました!」


・・・と言ってたような気がするんですが、その実況がなんなんだとしか聞こえません。


そして今年、最も忘れられないシーンは、9区鶴見中継所での、繰り上げスタートの悲劇。
たすきを渡そうと手に握りしめて、アンカーがもう数十メートル先にいるのに、時間切れでたすきを渡す前にアンカーは走り出さなければならない。
目の前にいて、あと数秒でたすきが繋がるのに、目の前でスタートの号砲を聞いて、目の前で走り出されてしまうのですよ。
今年は7校も繰り上げスタート。トップの通過から20分経過すれば、後続ランナーが来なくても無情にもスタートしなければならないというルール。

そこで、本当に僅かの差でスタートされてしまった悲劇の大学は、國學院と東海。特に國學院は10秒未満だったような気がする。

ここでもう、9区のランナーは間に合わなくて、先にスタートされてしまって誰もいないゴール地点で崩れ落ち、「繋がらなかったたすき」を握りしめて号泣するのを見てこちらも涙にくれるわけですが、日テレの実況アナは、國學院のランナーが倒れ込んだ瞬間、日本中を泣かせようとしてこんな実況をしてた・・・はず


「渡そうと思って握りしめたたすきはッ・・・アンカーの温もりを感じることなくッ・・・
その手の中でッ・・・・・冷たくなっていく・・・・・」



テレビを見ていた時はこちらも感極まって泣いてるので、余り気に留めなかったけど、後から思い出すとなんかこの実況凄く面白すぎるぞ!

そういえばその後続々と9区のランナーが到着する時も、「渡そうとして、渡そうとして握りしめたたすき、しかし、たすきを渡すランナーが、いないッッ!」を連呼してしきりに「渡そうとしたら誰もいない悲劇」を強調してたな。


今年気付いたんですが、最後にゴールテープを切った後、超笑顔だったのは、一位の東洋と、最後の10区で逆転して順位を一個上げた青学と、同じく10区で逆転してシード権をギリギリ獲得した大東大だけ。
あとは、2位の駒大はもちろんのこと、チーム全体で悔し泣きか落胆か厳しい表情で、笑顔なし。
「参加校の殆どを不幸な気分にさせるってどんな大会だよ」と家族の意見がありましたが、でも、私含めて多くの日本人って、2位で悔し泣きする姿や、頑張ったけど残念だったチームの頑張りに感動するものなんじゃないかしら。


これ以上語ると、結局は語る資格のない私が「駅伝の魅力を語る」になってしまうので。

ホントに、ひたむきに走る彼らから学ぶものは多く、励まされるものは大きいし、美しい。



ともあれ、駅伝で必ず存在する多くの名もなき敗者たちは、あの悲劇が喜劇にされてしまったお笑い実況中継に見られるように、「人生、まだまだこれからだよ」という事実を胸に刻んで欲しい。
駅伝で勝とうが負けようが棄権しようが、実はたいしたことじゃないんだ。「何か」に向かって、諦めずに走り続けたその姿だけで、もう充分なんだと。