試験勉強を長く続けていると、いつしか志を失いそうになる

私のいる世界は、志を持たない者はいない

志なき者は去れ、が合言葉だ、しかし、

時に志を見失っている者 志を持たない者 志と称する邪な心を持つ者に変わる事がある

そしてそれは、自分も例外ではない



「志」とは、「士(サムライ)」の「心」と書く

サムライは、気高い心の為に闘う存在である

「何のために」「誰のために」闘うのか、抗い続けるのか

それは、サムライの数だけ、理由があり、それは時代と共に移り変わる



もしかしたら、闘い、守るその存在は、時代や国境を違えば、無価値なものかもしれない

その者が闘わなくとも、別の者が達しうるものかもしれない

その者が志半ばで潰えても、後に続く者の礎にさえなれないかもしれない

それでも、抗うことを決して止めない、愚かしくも気高い精神に触れた時、

私は胸を打たれ、この短い人生、かく生きてみたいと憧れる



だが、「志」などという言葉が頭をよぎるのは大抵、

志を失っている時なのだ

志を持って生きている者は、志という言葉自体、意識していないものなのだ

「悟り」を目指す者の中に悟りを得ている者が皆無であるように

「悟り」などという言葉を口にすること自体、悟れていないことの証拠であるように

私が今、「志」という言葉を思い出しているのは、志を失っているからなのだ



それでもいい、多分、この山を越えれば、

もう少し、歩き続ければ・・・

また何かが見えてくるだろう 景色が変わるだろう

多分、いつしかふと気付けば、志を持って歩き続けている、

そんな自分に気付くこともあるかもしれない